14/02/05 「私には一票はないけれど」辛淑玉
在日コリアンで実
業家の辛淑玉(しんすご)さんの都知事選の宇都宮健児さんの応援演説を紹介したいと思いま
す。
私は、この演説を何度も聴きました。涙を禁じられませんでした。
宇都宮さんの人となりだけではなく、在日コリアンとしての生き方、日本の政治状況などについて語られています。YouTubeで
聞くことができます。是非、お聴きください。
私が文字起こしをしましたのでこちらも参考までに。
慣れませんのでうまく書き起こせていませんが。
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在日朝鮮人三代目の辛淑玉です。
私は宇都宮健児さんが大好きです。
私はここに一票を持っていません。一票を持っていない私は宇都宮健児さんの応援に来ました。
そしてこの人が東京都知事になってくれなければ私たちの明日はない。
あなたと私の明日はないというふうに思っています。
で、こちらの渋谷は私の生れた街です。私は東京都渋谷区で生れました。母も渋谷で生まれました。
そして私はこの街をずーっと歩いてきました。私はこの後ろにあります都立第一商業高校に入りました。そうなんです。ここから歩いてすぐです。
何故その学校に入ったのか、朝鮮人でも商業高校を出たら就職できるって言われたんです。だけどね、高校一年のとき一所懸命頑張って勉強しました。簿記も
やりました。そして今でいう今は電卓だけど当時は算盤です。算盤もやりました。
だけど、在日で就職している人は一人もいませんでした。
そして私は学校に行くのをやめました。で、この街を徘徊しました。
貧乏は苦しいと思いました。
高校に行くときに900円の授業料を出すというのは私にとってはとても大変でした。
夜は焼肉屋でアルバイトをし、そして昼間は学校に行ったり行かなかったりし、そして朝は新聞の配達をし、空き缶を集めビール瓶を集め一個5円でした。
それを換えて何とか生きてきました。
その裏にあるパン屋さんには、これで何が食べられるかと思いながら歩きました。
貧乏は辛いです。そしてその貧乏な私たちのよう生き方を今の若者にこの国は強いています。
明日がない。仕事がない。
そして先だって、冷凍食品に農薬を入れた人は年収が200万だと聞きました。手取りにしたら16万くらいです。それで生きていくというのはとても大変な
ことです。50近くになって、そして非正規で。
そんな世の中にしたのは今の政権であり、今までの政権であり、そしてそれを見て見ぬふりをし対立を煽ってきたのは東京都知事たちです。
私は2000年の時に石原慎太郎東京都知事の「三国人」発言、この時に向かって声をあげました。この時にもし大震災が起きたときに三国人たちが騒擾(そ
うじょう)事件を起こす。だから自衛隊を出てきてくれという形で言いました。
つまり、朝鮮人たちは悪いことをするから殺してくれと言ったわけです。
それに対してノーの声をあげました
私はこの土地で生きています。そして日本の人たちと、日本国籍を持った人たちと生きています。
日本の国籍を持った父、そして朝鮮の母、様々な子たちがこの街で生きています。
東京というのはとても懐の深い街です。私をここまで育ててくれました。
その東京がドンドンドンドン壊れていきます。
見てください。あなたと私を、喧嘩するようにこの東京はずーっとやってきたのです。
そうではない。あなたも生きて、私も生きて、あなたも私も貧乏は嫌です。
あなたも私も一緒にご飯を食べていきたい。そして、高校を出たら就職をしたい。そして、自分が一所懸命働いたら生きていけるだけの生活が出来るだけのお
金が欲しい。
働いても働いても先がない。
「なんで、あんたは会社の経営者になったの?」ってよく言われます。私は会社の経営を30年やりました。何でなったのか、就職できないからなったんです
よ。就職できないから社長になったんですよ。
もし私が、もしここで、もっと差別のない東京であったならば、もし女として生まれなかったならば、朝鮮人として生れなかったなら、私にはもっと違った人
生があっただろうかと思うときがあります。
だけども私は、この土地で朝鮮人として在日の三代目として、そしてここで生れて、ここで育ちました。
そしていま東京は、ヘイトクライムのレイシズムのメッカになりました。
「良い朝鮮人も悪い朝鮮人も殺せ」いう言葉が、毎週、毎週、毎週、東京の街を覆っています。私は殺される対象になりました。だけども、ここは私のふるさ
とです。
「出て行け」と言われても、ここが私の家であり、ここで私は生きていき、ここで私は飯を食べ、ここで私は恋をして、ここで私はいま生きているんです。
そしてこの私を一緒に支え、そして私はレイシズムに対して「乗り越えネット」というものを立ち上げました。
それは何故立ち上げたのか、私たちの私たちと一緒にこの国をこの土地をこの渋谷をこの新宿をそういうレイシストの街にしたくないと声をあげてくれた友だ
ちがたくさんいるからです。
その人たちの後をついていきたいと思いました。
そして私はそのときに声を掛けました「宇都宮さん、一緒に『のりこえネット』をやってくれないだろうか」、彼は二つ返事でオーケーをしてくれました。
一票にならない人間のために声をあげてくれる人たちが、今までいたでしょうか。
人権は好きだけど、当事者が嫌いな人たちがいっぱいいました。
そして嘘ばっかりの政治の中で、半径300メートルの中であんたも私も一緒に生きていくという、これを実際に行動に移してくれたのは、私の隣にいる宇都
宮さんです。
私は宇都宮健児が大好きです。
一票ないけど、私は彼を応援します。
みんなよろしくね。そして一緒に生きていこうね。
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