14/06/03 朝日俳壇、歌壇より
6月2日付けの朝日新聞の俳壇、歌壇から気になった句や歌を紹介します。
◆朝日俳壇
◇夏浅し雲に足らざる力瘤(ちからこぶ)(東京都・たなべきよみ:金子兜太選)
暑い毎日ですが、眺める雲は筋雲のように高層の雲ばかりです。
◇芍薬は家庭訪問ころの花(高崎市・岡田トミ子:長谷川櫂選)
家庭訪問など遠い昔のことです。そういえば、一学期の夏休み前だったのでしょうか。
◇老年のつつましければ著莪明り(藤沢市・久道陽吾:長谷川櫂選)
著莪のように慎ましやかに老いぼれたいもの。
◇聖五月天使の羽根を拾ひけり(高松市・柴田清子:大串章選)
一読で女の人の句だと分かる作品です。
◇ひとり見る遠流(おんる)の島の卯波かな(霧島市・久野茂樹:大串章選)
どこの流刑の島なのだろう。佐渡だろうか、八丈だろうか?
◇芍薬の白き気品の風に揺れ(西宮市・竹田賢治:稲畑汀子選)
芍薬の花は豪華すぎて馴染めませんが、確かに気品はある。
◆朝日歌壇
◇見られても見られなくても踏まれても踏まれなくても片喰(かたばみ)の花(八千代市・砂川壮一:馬場あき子選)
俳壇の芍薬の花とは対照的に片喰の花は貧乏臭い花です。
見られる見られない、踏まれる踏まれないのリフレインが心地よい。
◇防護服きて除草剤畔(くろ)にまく化学部隊の兵士のやうに(埼玉県・酒井忠正:馬場あき子選)
防護服がニュース映像から度々映し出される。日常の一部になったように。
◇ほろほろと山通(あけび)の花のこぼれいて空き家はずっと空き家のまんま(福島市・美原凍子:馬場あき子/永田和宏選)
人には栄枯盛衰があるが自然にはただそこに芽を出し花を付け実を結ぶだけ。生きているサイクルが違う。
◇福島に手当求めて流れ着く作業員という我らも難民(南相馬市・池田実:佐佐木幸綱選)
福島に住む人も、福島を離れた人も、除染・廃炉のために福島に来た人も、福島から遠くはなれた我々も国や東電に捨てられた棄民です。
◇歯ぎれよく九条を読みし高校の初恋のひとにいよいよ会いたし(磐田市・伊藤正則:高野公彦選)
作者は何歳くらいだろう?甘酸っぱい初恋の人が九条を読む。
◇野晒しの魚網の青きガラス玉再び海に戻る日は来ず(塩釜市・佐藤龍二:永田和宏選)
3・11が地震と津波だけだったらと思うのは、私たちのエゴなのだろう。
原発さえなければ。
◇ノーベル賞を貰いたいのでもう少しこのままそっとと憲法は言う(井ノ川澄夫:永田和宏選)
「もう少し」ではなく「ずっとこのまま」の憲法であったほしい。
日本国憲法、とりわけ九条にノーベル平和賞をという運動が進められています。ノーベル平和賞の受賞者は安倍晋三首相ではなく一人ひとりの私たち日本国民
です。
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