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14/08/03 映画「石 川文洋を旅する」


 エアコンを使わず節電生活をして います。その所為か、夜が寝苦しく少々夏バテ気味です。
 
去年の9月15日より日本の原子力発電は一基も動いていません。つまり、原子力で作られた電力は一灯の電気も灯していな いのです。何も無理をして節電せずとも良いのですが。

 政府や原子力村はこの秋にも川内原発を再稼動させようとしています。「世界基準」の安全基準を満たしていないから再稼動は認められないという意見もあり ますが、原子力発電所の存在そのものが安全ではないのですから、全ての原子力発電所の再稼動、新建設、輸出など持っての外です。
 世界中から原子力発電所、核兵器をなくしましょう。


 久しぶりに映画の話題を。
 阪急十三駅近くの飲み屋街が火事になってから初めての十三、第七藝術劇場に出かけてきました。

 「石川文洋を旅する」を観てきました。
 ベトナム戦争に従軍した戦場カメラマン・石川文洋(いしかわ・ぶんよう)さんのド キュメンタリー映画です。

 石川さんは1938(昭和13)年、沖縄県首里生まれで5歳のとき東京都に移住した。沖縄に残った兄は対馬丸の後の船で疎開してきたそうです。
 貧しかった石川さんは毎日新聞で給仕をしながら両国高校定時制に通われたそうです。1942年生まれの私の姉も貧しくて高校にいけず子育てが終わってか ら定時制高校に通っていました。そんな時代だったのですね。

 高校卒業後は毎日映画社に勤務するも満足せず世界一周の旅に出かけ、旅の途中でベトナム戦争に従軍することになります。
 ホーチミン(旧サイゴン)で下宿しながら、アメリカ軍や南ベトナム軍の作戦に従軍しベトナムの民家を焼き、人民を殺す現場を撮影し通信社にネガを一枚い くらで売って生活をされていたのです。

 映画はそんな石川さんの半生を紹介しながら、ベトナム、沖縄への旅を追うという後世です。
 ベトナムでは元下宿やホーチミンの町並みなどと枯葉剤の影響で生まれてきた障害を持つ子どもたちを見舞います。枯葉剤の後遺症は三世代まで続いているそ うです。枯葉剤を作った会社は因果関係が証明できないと保障に応じていません。

 沖縄では平和の礎、対馬丸記念館、沖縄国際大学、普天間基地などを訪問します。沖縄戦を知らないことが石川さんにとって引け目であったようです。

 訥々とした石川さんの話し口に平和への思いが伝わってくる良い映画でした。

 帰りには焼けだされて移転して営業を再開している十三屋に顔を出しました。前の店の四分の一ほどの手狭な店でしたが、平日の午後にも関わらず八分の入り でした。客層はかなり違っていましたが。
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