14/08/15 加
古陽治編・著「真実の『わだつみ』 学徒兵
木村
久夫の二通の遺書」
今日は69回目の敗戦記念日です。
まだ、読んでいませんが平和祈念式典で安倍首相はどんな挨拶をしたのでしょう?
アメリカの俳優、ロビン・ウィリアムズ(Robin
Williams)さんが亡くなられました。アルコール中毒から鬱病を発症されていた上の自死だそうです。1951年生れの享年63歳とのこと。
あたたかい柔らかな役柄に好感が持てる俳優さんでした。ご冥福をお祈りします。
私が観た映画は、特殊メイクで女装して別れた妻と子どもたちの家に家政婦として働く「ミセス・ダウト」、独特の口調で「Good
Morning,
Vietnam」とベトナム戦争に参戦しているアメリカ兵に語りかける「グッドモーニング・ベトナム」、それにロバート・デ・ニーロと共演した「レナード
の朝」などです。
ネットで「グッドモーニング,ベトナム」と未見の「いまを生きる」を注文して改めて観てみようと思います。
さて、敗戦記念日に相応しい本を紹介します。
琵琶湖の東岸というより鈴鹿山脈の西の裾で育った私が母の知り合いから紹介されて中日新聞(当時は中部日本新聞と言っていたような記憶がある)の配達と
集金を子どもの頃にしていました。
昨今の政治情勢、マスメディアが政府広報と化す中で東京新聞の報道は今一段と輝いている(と私は思う)。例えば日本ジャー/リスト会議大賞を受賞し
た。「『論点明示報道』評価 JCJ大賞 本紙表彰」(東京新聞
14/08/10)
東京新聞の発行元が中日新聞社ということでかっての新聞少年も胸張る思いです。
さて、さて、前置きが長くなりましたが、その東京新聞の特ダネとも言える記事から一冊の本ができました。その記事とは今年4月29日のこの記事です。「『わだつみ』悲劇の学徒兵 木村久夫 無実訴え『戦犯』処刑」(東京新聞 14/04/29)
記事では旧制高知高校から京都帝国大学に進学し学者を目指していた木村久夫・陸軍上等兵の遺書を紹
介しながら短い人生を紹介しています。この記事の元になっ
た木村久夫の2通の遺書をもとに歌人でもある東京新聞の文化部長・加古陽治さんが戦没学徒兵の遺書をまとめた「き
け わだつみのこえ―日本戦没学生の手記」に記載されている遺書の内容との違いを謎解きをした一冊が「真
実の『わだつみ』 学徒兵 木村久夫の二通の遺書」です。
私は「きけわだつみのこえ」を読んだことがありませんが、 収録されている学徒兵は戦死し
たものばかりでしたが、木村久夫は戦争末期に起こった事件のために戦犯として処刑された珍しい兵士でした。
「きけわだつみのこえ」に収録されている木村久夫の書籍「哲学の通論」の余白に書かれていたものと、手製の原稿用紙に書かれた父に宛てた遺書を継ぎはぎ
にしたものでした。
何故、継ぎはぎの遺書が生まれたのかは、中々興味深いところですが、関係者の死者を思ってのことだったようです。
1943年9月にミャンマー西部アンダマン・ニコバル諸島のカーニコバルに配属された木村は陸軍の兵士でしたが海軍主導の民政部で原住民対策に当たって
いました。ところが45年7月に発生した「スパイ事件」に関わることにより木村の人生は一転するのでした。原住民の米泥棒を捕らえてみれば信号弾を隠し
持っていたことからスパイではないか、民政部で取り調べろと命じられて取り調べるのですが。。。
幹部からは有無を言わさず殺してしまえとの命が出て、裁判も経ずに八十数名の人が虐殺されたのです。ところが日本が敗戦した結果、木村らが軍事裁判に掛
けられるのです。ところが虐殺を命令した幹部は罪に問われず、ただ取り調べただけの木村らが死刑の宣告を受けてしまうのでした。
遺書には死刑を待つ心根と妹や父母、恩師のことなどが切々と書かれています。
先の大戦があと1ヶ月早く敗戦を決断していれば「スパイ事件」も起こらなかったであろう。木村の軍部に対する思いを書いておきましょう。
「天皇崇拝の熱の最もあつかったのは軍人さんだそうである。しかし一枚の紙を裏返せば、天皇の名を最も乱用、悪用した者はすなわち軍人様なのであって、
古今これに勝る例は見ない。いわゆる「天皇の命」と彼らが言うのはすなわち『軍閥』の命と言うものと実質的には何ら変わらなかったのである。ただこの命に
従わざる者を罪する時にのみ、天皇の権力というものが用いられたのである。」
木村は反骨で嫌いな教師のために旧制高知高校を2年も留年、軍隊に入ってからも昇進試験も受けず敗戦時にも上等兵のままでした。こんな性格が良きにつけ
悪きにつけ彼の人生に影響を与えたのだろうと思います。
人を殺すのも、人に殺されるのも嫌です。
戦争は人を人殺しという鬼畜にしてしまうのです。
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