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08/02/25 鎌 田實「それでも やっぱり がんばらない」
 諏訪中央病院名誉院長・鎌田實 さんの「そ れでも やっぱり がんばらない」の中からいくつかの話を紹介します。

 「できれば辛い治療法は拒絶し、後遺症などで苦しむ生よりも、短くても充実した残り少ない生を選択したいと思っています。」
 津軽三味線奏者・高橋竹山を世に出した佐藤貞樹さんが食道がんで入院前に友人に宛てた手紙に書かれていたそうです。
 自分の納得する「生」や「死」を、選びたいものです。

 生きていること、病むこと、老いること、死を迎えること、看ること、看取ること、、、難しいテーマです。

◆天国までの680マイル
 1マイルは1.6Km、岡山から諏訪中央病院のある茅野までは550Km、往復は凡そ680マイル。

 岡山に暮らす父は胃がんの手術を受けていた。その父が脳梗塞を発症した。
 世話になっている病院の外科から紹介された内科医は「半年の命が一年半生きた。これ以上、何を望むのですか」「入院はさせない。点滴に通いなさい」と 言ったそうです。
 母は、父を背負って通院している。

 信州に住む娘から「父も母もあまりにかわいそうで。父を診てくれ」と言ってきた。
 娘と母は、大切な命を誰にも遠慮せずに守ろうとした。

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 人の命を救うための科学の進歩が、
 医療からあたたかみを奪う。
 時として、患者を置き去りにする。
 そんな今の医療が、ぼくは悲しい。
 優しくなくちゃ医療じゃないと思っている。
 生と死に向きあいながら、
 大切な命の守りかたをトコトン考えてみた。
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◆「何がしたいですか?」
 諏訪中央病院の緩和ケア病棟にやってきた女性は、問診で「何がしたいですか?」と聞かれた言葉にうれしいと泣いた。
 今までの病院では、「何がしたかった?」と過去形で聞かれていたという。
 「この病院ではこれから何がしたいのですかと聞いてくれる。私、生きていてていいんですね。うれしい」

 死が近づいている人であっても、今、生きている、生きている限りしたいことはあるはず。

 医者の言葉の暴力です。
 医者にとって、人の生死は日常のこと。でも、当事者にとっては一生に一度のこと。
 無神経な、言葉は大きな悲しみを生みます。

◆「生きていても、苦しいだけでは意味がない」
 家族とラーメンを食べに行こうとして自宅の玄関で転び、脊椎の多発性骨折を起こし、胸膜炎の後遺症、心臓弁膜症で心不全機能が低下している80歳の春お ばあちゃんが「死にたい」と言った。

 「家が好き」という本人の希望から、1日1回ホームヘルパーに身体を拭いてもらったり、週に2日は訪問看護師が在宅ケアを行い、週に1日はディケアサー ビスを受けるケアプランを受けていたのでした。

 「死にたい」という言葉を聞いた若いケアマネージャは、春さんが本当にしたい「ラーメンを食べに行くこと」をケアプランの中心においた。

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 春ばあちゃんは、ラーメンを食べに行く朝、心がウキウキしただろうな あ。
 人間、みんな、同じなんだ。心をときめかしたい。時たまでいいんだ。
 人はいつまでも感動する心を忘れていない。
 感動のなかに生きる力が芽生える。
 感動のなかに生きる意味が見えてくる。
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◆音楽
 この本では、音楽の話が出てきます。聞いてみたい曲が増えるばかりです。

◇「きみは愛されるため生まれた」
 韓国のポピュラーな歌に「きみは愛されるため生まれた」というのがあるそうです。ジョン・チャヌ(Jumg Chanwoo)という在日韓国人のバイオリストのことも書かれています。

◇高橋竹山

 盲目の津軽三味線奏者・高橋竹山を見出し世に出した佐藤貞樹さんとの交流についても書かれています。
 上妻宏光さんの「津軽じょんがら節」を聞いていますが、竹山さんも聞いてみたくなりました。

◇「赤とんぼ
 サックス奏者・坂田明さんCDのアルバムノートの文章を依頼されて 「坂田のジャズは凶暴で、優しく、低能で、知的だ」と書かれているそうです。
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