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08/08/12 映画「山桜」
 このWebサイトの名前「残日 録」は藤沢 周平さんの作品「三屋清左衛門残日録」から借用しているほどの周平ファンですが、最近の映像化ラッシュには少々うんざり気味で した。
 映画ファンの方から、「山 桜」は最近の藤沢原作物の中ではかなりよいと教えていただいていたので遅ればせながら見てきました。

 ゆっくりと時間の流れる、ゆったりとしたよい映画でした。

 原作は海坂物といわれる東北の小藩・海坂藩を舞台にした物語でしたが、
時代や舞台についての説明的な描写は一切ありませ んでし た。
 初婚の相手の急逝、思いやりの無い男との再婚と不幸な結婚生活に耐える女(野江)は叔 母の墓参の帰りに一本の山桜を見つけました。そこに、昔野江と縁談のあった手塚弥一郎が行きあわせ、山桜を手折ってやります。
 ある日、弥一郎は藩政を食い物にする幕臣に対する義憤から、この男を切ってしまいます。
 藩は弥一郎の処遇を決めかね弥一郎は囚われたままです。野江は弥一郎の留守宅に一枝の山桜を持って訪ねました。

◇大柄な女性
 壇ふみさんが野江の母親役でした。嫁に行く年頃の娘を持つような年齢になられたのですね。
 壇ふみさんも、野江の妹役の南沢奈央さんも大柄の役者さんで少し違和感がありました。

◇短編がよい
 映画化する原作は、短編がよいように思いました。
 原作のあるものの映画化は原作の読者も満足させる必要があり、ストーリーを追うだけでなく原作に書かれた出来事をできるだけ盛り込もうとして中長編では 無理が生じるのでしょう。
 原作は「時雨みち」という短編集に収録されている20数ページの掌編で、映画化にはよいサイズだったようです。

◇脚本、監督
 脚本は、飯田健三郎さんと長谷川康夫さん、監督は篠原哲雄さん。
 山田洋次組の「たそがれ清兵衛」、「隠し剣 鬼の爪」や「武士の一分」とは、明らかに一味違う作品でした。
 
◇海坂藩の風景
 
登場人物の台詞も少なくナレーションも無い日本の東北の風景をしつこいくらいに見せていました。
 ロケ地はしっとりと溶け込んでいてロケ地(山形の庄内地方?)に出かけて見たくなりました。

 ただ、藤沢周平さんの作品で読む海坂藩の城下の雰囲気が、出来合いのようなオープン セットで少々物足りませんでしたが。

◆朝日 俳壇、歌壇より
◇あきらめて夕立の中走り出す(香川県・三宅久美子:稲畑汀子選)

◇蓮咲いて濠に高さの生れけり(福岡県・松尾康乃:稲畑汀子選)

◇炎天を一路に背負ふ鉄路かな(横須賀市・加藤時保:金子兜太選)

◇葬祭業営みてはや半世紀人の死見つつ死を怖れたり(前橋市・大熊津ネ夫:高野公彦選、馬場あき子選)

◇犬好きと猫好きと居て酒を飲む今夜は犬の話が多い(さいたま市・吉田俊治:佐々木幸綱選)

終戦日少年潜る川の底
 写真家の浅井慎平さんは俳号・風太という俳人でもあられます。
 朝日俳壇、歌壇のページのコラム欄「うたをよむ」に浅井慎平さんが書かれています。少し引用します。

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 (前略)
 時が過ぎ、気づけば写真を生業にしていた。仕事で富士山を撮るために出かけ、富士が見えない。つまずいた足元の石ころの風情にこころが動いた。仕事を忘 れ、石ころを撮って帰ってきた。
 こんな日々の不条理ともいえる連続は、ぼくの人生が俳句的感慨によって占められていたからではないのか。生きていくということは宿命のうちにあるらし い。授業に集中できなかった少年は、命と世俗と宇宙との交感に強く魅(ひ)かれた。そして写真を撮り、俳句という言葉の格闘家を夢みるようになった。
 <
人は愛(かな)し死へ疾走するトマト>
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