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04/10/20 平塚 晶人著「二人のアキラ、美枝子の 山」

 もう、40年も昔のことになるのですね。65年(昭和40)だったで しょうか高校山岳部の夏山合宿で北アルプスの涸沢でキャンプしている時でした。寸分のスキもない登山スタイルの奇麗な女性の登山者がすたすたと北穂高岳の 方に登って行きました。田舎の高校生達は遠めに呆然と見とれているだけでした。

 冬の北アルプス等を登るには極地法という大掛かりな登山の方式が主流だった時代に、単独行で困難な山登りをしていた対照的な二人の登山者がいます。
 一人は関西(兵庫県浜坂町)出身の労働者(三菱神戸造船所勤務)であった加藤文太郎、、もう一人は関東(仙台生まれ東京育ち)出身で東京農大の学生で あった松涛明。

 単独行を主としていた二人の登山家は、たまたま同行者のいた同じ槍ヶ岳北鎌尾根で遭難死しています。加藤文太郎は36年(昭和11)1月、松涛明は49 年(昭和24)1月に帰らぬ人となっています。

 加藤文太郎には 遺稿「単独行」、松涛明には遺稿「風雪のビバーク」があります。また、加藤をモデルにした小説に「孤高の人」(新田次郎)があり、松涛を モデル にした小説は「氷壁」(井上靖)があり、共にベストセラーでした。
 対照的な二人でありながら、良く似た二人だと思います。(何処かに二人を比較検討した読みものがあるかもしれません)

 「二人のアキラ、
美枝子の山」は、松涛 明と著名な登山家奥山章をつなぐ美枝子と言う女性と、美 枝子を通して見た二人の 「アキラ」の物語です。松涛明の遭難の3ヶ月前に出会い、松涛に憧れ、彼の死後、登山に傾倒して行き、後に奥山章と結婚します。しかし奥山は病に倒れ自死 してしまいます。

 著者平塚と美枝子の往復書簡の形を取って話は展開して行きます。
 モデルの山田美枝子さんは、福井県にご健在のようです。

 話しを40年前に戻しますと、私達が涸沢で見たのは美枝子さんだったと思います。略年表を見る限り当時35歳、奥山さんと結婚された年です。

 アウトドア雑誌の書評を見て読み始めたのですが、読み進むうちに40年前の涸沢での風景を思いだし、懐かしい思いにしたることができました。

 今夏に、山陰方面のサイクリングをした折りに加藤文太郎さん所縁の兵庫県浜坂町を通ったのですが、町営の記念館等にも立ち寄れませんでした。次回は是非 尋ねたいと思います。
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