Google
WWW を検索 残日録内 を検索
←Back  Haiku  Home Mail Archives Twitter  Next→

04/12/22 価格は安いほうが良いのでしょうか?
 物の値段は安い方が良いのだろうかという疑問に憑かれています。知識もありませんので、すっきりとした答えは出せませんが、何かがおかしいとの思いを書 いてみたいと思います。書き出し難いテーマですが、書き始めないと進みませんので、何回かに分けて書いてみることにします。

 私の子供の頃には、牛乳は牛乳ビンに入って売られていました。牛乳ビンは回収されて、再使用されてい ました。今風に言えばリターナル・ビンですね。

 今は、紙パックに入れて売られています。
 紙パック包装は、運送するにも軽く、梱包しやすい形状ですから運賃が安くなるでしょうし、メーカーはパックの回収の義務を持ちませんから、容器の回収費 用が0円です。
 リターナル・ビンだと回収した後も、検査、洗浄と言う工程があるでしょうから、紙パック詰めは費用が掛からないはずです。

 と言うことで、私たちは牛乳ビンに入れられた牛乳より安く牛乳を買うことができています。
 因みに、500mlが150円の紙パック牛乳と、200mlが100円(中味だけ)とした場合、リットル当たり価格は紙パックが300円、ビン入りが 500円となります。(ビン入り牛乳の価格が分かりませんでしたので、お風呂屋さんの牛乳が100円だったとの記憶で比較しました)

 牛乳の紙パックを回収して、再利用しましょうとか、森林資源を守りましょうという運動がありますが、なぜ少々高くなっても、ビン詰めの牛乳にしましょう と言う人はいないのでしょうか?

 タバコを売ることを規制しないで、喫煙のマナーを説いているようで、何か本末転倒でではないかと思います。

 ビン入り牛乳などについて㊖経済広報センターのホームページで「企業と生活者懇談会」と言う催しの中で、森永乳業を取り上げています。(http: //www.kkc.or.jp/society/conference/kdk_020605.html)02/06/05

 <森永乳業の説明>
 (前略)銭湯などの自動販売機で売っているビン牛乳などは、品質保持期限が一週間程度しかありません。ですから、2日置きなど相当の頻度でチェックし、 残った商品 は入れ替えをしています。
 ビン入り牛乳の殆どは、宅配です。本年3月現在、約4400軒の販売店を通じて190万軒に宅配しています。この宅配ビンは販売店を通じて回収してお り、その回収率は概ね100%です。回収したビンは、洗浄してキズの有無などを徹底的にチェックした後、再度の洗浄、殺菌をして再使用しています。
 なお、コンビニエンスストアや量販店でビン入り牛乳を販売することは、重たいという理由でお客様になかなか選択されないことと、リターナブルの前提とな るビンの回収経路が確立できないという理由で、私どもは行なっていません。

 話は変わりますが、松下電器産業の創業者松下幸之助氏は、32年(昭和7年)、社員を集めて次のように宣言されたそうです。
 「産業人の使命は貧乏の克服である。そのためには物資の生産に次ぐ生産をもって、富を増大しなければならない。水道の水は、通行人がこれを飲んでもとが められない。それは量が多く、価格があまりにも安いからである。産業人の使命も、水道の水のごとく、物資を安価無尽蔵たらしめ、楽土を建設することであ る」http://panasonic.co.jp/eco/policy/kounosuke/km_0003.html

 これは「水道哲学」と呼ばれて松下イズムの中では有名な言葉のようです。
 物が無いことは貧しいことで、物が安く溢れるようにあることが幸せにつながるから、安く提供できる物をたくさん作ることが使命だという考え方です。

 水道哲学の宣言から70数年を経て、世の中には物が溢れています。
 物が豊富になって私たちの暮らしは豊かになったのでしょうか?

 物を作る人たちは、材料費を値切って、社員の給料を下げて、工場設備をフル稼働させて、価格の安いものをたくさん作っています。国内生産で価格が下げら れないと、土地や税金、人件費の安い海外に製造拠点を移していきます。

 物を運ぶ人たちも、単価の安い物を運ぶのですから、運賃もうんと安く運ばなければ利益も上がりませんし、仕事が無くなります。

 物を売る人たちも、狭い店内に積み上げたり、低賃金のフリーターと呼ばれる人を使ったりして、よりたくさんの商品を売らなければ利益が出てきません。

 こうして、私たちは安い物を手に入れています。牛乳パックのように不必要なものまでを一緒に購入しています。

 物を作る人、運ぶ人、売る人、買って消費する人、こんなに安く物が溢れて、誰か幸せになったのでしょうか?(資本家を除いて)

 アメリカ人は、フロントガラスを拭いたり、灰皿を掃除したりする日本のガソリンスタンドのサービスを過剰なサービスだと思うそうです。アメリカでは、過 剰?なサービスはなくて、ガソリンを安く売っているそうです。

 こんな状況を次のように説明されたことがあります。
 アメリカ人は、ガソリンを安く買うことはできるが、社会の総支出としては高いガソリンを買っている。
 ガソリンスタンドで日本並みのサービスをすればガソリンの価格は上がるだろうが、青年を一人雇うことができる。逆に言えば、一人の失業者を出している。
 無職の人たちが町に溢れ犯罪を犯しため、警察や刑務所等に掛かる費用を国民が負担している。結局は高いガソリンを買わされているというのです。

 この話は昔に聞いた話ですし、どこまで正しいかという根拠はありません。しかし、暮らしを維持していく経費を、自分の家計に掛かる直接的なものと、社会 に掛かる間接的な費用(税金だけではないと思いますが)、或いは自然環境を維持していく費用も含めて考えなくてはならない時期に来ているような気がしま す。

 相変わらず、まとまりの無い文章となってしまいました。
 次回は、この問題を違う角度から改めて見てみたいと思います。

inserted by FC2 system