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05/03/08 円地 文子「食卓のない家

 この本は映画を見てから読んだものです。
 映画「食卓のない家」(85年製作)を、どこでいつ見たのかも思い出せずにおります。

 テーマは、過激派といわれる暴力革命を標榜していたグループにいる子供の犯罪と家族の関係を描いた作品でした。
 逮捕歴のある過激派の弟を持つ知り合いがいたこと、仲間をリンチで殺した犯人の父親が自殺をしたこと等から、テーマに興味があって見たようです。

 映画が公開された85年(昭和60年)当時の私は東京在勤で、所属する会社が4月に民営化され何かバタバタしていたような記憶があります。また8月の暑 い夕方、会社帰りの居酒屋のテレビに日航ジャンボ機が行方不明のテロップが流れたことを覚えています。(後の日航ジャンボ機の御巣鷹山墜落事故です)

 円地文子さんの著作を読むのは初めてです。

 大企業の要職にある父親(信之)は、長男(乙彦)が犯した犯罪(リンチ殺人)に対して「成人に達した息子の犯罪は本人の問題で家族には関係ない」と毅然 とした態度をとり、社会への謝罪も息子への援助もしませんでした。世間から色々な嫌がらせを受け、妻(由美子)はそんな夫を非難し、心を病んでしまいま す。長女(珠江)は婚約者の親から婚約解消を言い渡され、次男はそんな家庭に白けきっています。

 由美子が入院した後の家庭を支えていたのは由美子の姉(貴和)でした。珠江は、婚約者との交際を密かに続けており、婚約者の転勤についてアメリカに渡る ことを決意しています。
 由美子は、娘の結婚が自分に相談もなく進んでいたことや、夫と姉と関係を疑って自殺してしまいます。

 そんな時に、過激派によるハイジャック事件がおき、犯人グループは獄中の乙彦たちの釈放を交渉の条件とします。国は、超法規的措置で国外に出すことを決 定します。

 信之は、息子の乗った飛行機が飛んでいくのを眺めながら、北海道に住む乙彦の忘れ形見に会いに行こうと決意します。いくらかは、ほっとする結末でした。

 子供の不始末に対して、親がどこまで責任を持つべきかは難しい問題です。私は、親は親、子は子と割り切りたいと思っておりますが、中々割り切れないで しょうね。

 娘が小学生の時にひき逃げ交通事故に遭いました。加害者は学生崩れみたいなアルバイターで、自賠責保険以上の補償は期待できませんでした。その時、加害 者の父(警視庁の幹部でした)が出てきて、すべて自分が責任を持つと言われたときには正直安心しました。

 自分自身は子供を含む身内に水臭い性格ですが、主人公のように毅然と出来るかどうか自信はありません。しかし、我が家の子供たちは既に遠方に嫁ぎ、実質 的には「食卓のない家」になっております。

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