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06/02/22 朝倉和泉「死にたいあなたへ」

 1979(昭 和54)年1月に発生した「祖母殺し高校生自殺事件」と称される事件があ ります。
 学者一家に育った少年が、祖母を殺した後、自らも飛び下り自殺をしました。事件後に発見された「遺書」と題した文章などが猟奇的に報道され、一時は 計画的な事件と思われましたが、偶発的に発生した事件だったようです。(この項ウィキペディアを参考にしました)

 今回紹介する本は、母親であるシナリオライターの朝倉和泉さんが息子を偲んで書かれた「帰らぬ息子 泉へ」への読 者からの手紙などの反響を受けて書かれた本です。

 犯罪報道は匿名報道とすべきだと主張されている浅野健一さんの「犯 罪報道の犯罪」を紹介しようと何度か読み返しているのですが、中々まとまりません。
 「犯罪報道の犯罪」のあとがきに次のような形で紹介されていました。日本の古本屋で購入して読みました。

 「そのころ朝倉和泉さんの『死にたいあなたへ』(中央公論社、81年)を読んだ。朝倉さんは、マスコミに大きく報道された『祖母殺し高校生自殺事件』の 母親である。事件をのり越えて生きる日々を綴った第二作のこの本には、悪事を働いた人相の悪い顔写真がテレビのニュースに映ったとき、娘さんが『こういう 人にも、きっといいたいことがたくさんあるんだろうなァって思うようになったのよ』とつぶやいたことが書かれていた。犯人が画面から消えた後、娘さんは 『“あのこと”は、あたしにとっていいこと・・・・(ちょっと困ったように笑って)いいことっていっちゃ変だけどさ、とにかく、あたしにとって役に立った と思うよ』と言って涙ぐみそうになるのを抑え、朝倉さんも涙がにじんできたそうだった、という。それを読んで、このテーマから逃げずにやろうと私は決意し た。」


 「還らぬ息子 泉へ」を発表した後の朝倉さんには様々な反響があった。
 そんな反響の一つにK子という少女からの手紙があった。
 高校受験に失敗し、引きこもり、拒食症、不眠症、自殺願望と最悪のパターンへと傾斜している。
 そんな少女が本を読んで死んでいった息子に心かよわせ、SOSを発信してきていると感じた朝倉さんはK子へ手紙を書き始めます。
 
 「・・・私は、すぐさま手紙を書いた。
 『人を信頼したくてもできない。そのお気持ち、よくわかります。本当に辛いことです。不幸なことです。でも、まだまだ望みはある、そう思ってみません か? 大勢の人に接してみれば、その中には一人ぐらい気持ちの通じる人がいるかもしれない、そう期待してみませんか? ある日、ふいに目の前にその人が 立っている、そんな奇跡が起こるかもしれない、そんな夢をもってみませんか? その時がくるまで、私がその代わりを務めましょう。私の手は、もう白くもな く、つやつやもしていませんが、そんな手でもよかったら、いつでもさし出す用意があります』」

 こうして、少女との文通が始まります。
 母と息子を一時に失い、マスコミの異常な報道に晒され、手記を発表したことで新たな批判の的にされ「死」を考えていた朝倉さんが、少女との文通をとおし て生きる希望をもち始められる様子が伝わってきます。

◆手紙に登場する人々
◇Aさん
 シナリオライターのAさんが行方不明になった。
 親しい関係ではなかったが、自殺の虞があるという。もう少し話を聞いておけばよかったと。
 Aさんは翌年の夏に大雪山系で白骨死体となって発見されました。

◇Bさん、Cさん、Dさん
 雑誌に掲載されていた、死を決意した人が踏み留まった手記の筆者です。

 農家に嫁いだBさんは嫁いびりにあい、身重の身体で自殺をしようと彷徨っていると、お腹の赤ちゃんが抗議しているように暴れだした。Bさんは痛さにうず くまります。痛みが死の決意を鈍らせました。

 誰からも好意を持たれないと気がすまないCさんが、ある日素敵な男性と出会います。しかし男性は振り向いてくれません。死に場所と決めた峡谷に歩いてい くCさんはバッタリと母親に出会います。「仕事に行きなさい」と母の一喝で死の淵から立ち戻っていました。Cさんの様子に気付いた職場の同僚が母親に連絡 をとってくれていたのでした。

 優等生だったDさんが、担任教師などへの不満などから勉強恐怖症になり、やがて登校拒否となり自殺を考えるようになっていきます。高校受験を目前にして 肺炎に罹り入院することになります。クラス全員からの励ましの手紙の中に、病気のために一年間休学しなければならなかった少女からのこんな書き出しの手紙 があったそうです。「無理なら読まないでください」

◇本多勝一
 朝日新聞の記者(当時)です。
 息子の事件を取材し「子供たちの復讐」という 記事を書いた。朝倉さんは取材時の態度などに好意をもっていたのだが、ある日の電話で「先の記事への反響 の中に母親批判があり、今日の夕刊に特集記事を掲載する」と言ってきた。
 朝倉さんは冷めかけていた世間の批判・好奇の目にまた晒されることになります。
 本多記者への復讐のために自殺を決意されるのですが。。
 マスコミの醜さの一面が語られています。

◇Eさん
 「帰らぬ息子 泉へ」を読ん で手紙をくれたEさん。17歳の息子を自殺で亡くしているという。そんなEさんから突然の電話がありました。親しげに話すE さんに違和感を感じていた朝倉さんはEさんの次の一言で「赤の他人ではなくなりました。」
 『何かが起こって、この世界が滅びてしまえばいいと思いません?』

◇Fさん
 友人のFさんは、夫を長い闘病生活の末に亡くされていました。しっかり者で熱心なクリスチャンのFさんは夫の死にカラッと耐えたように見えていました。 しかし会ってみると笑顔は絶やさずにいるもののイライラしているようすで、ちょっとしたことばの端々に『荒れ』が見えます。
 子どもの成績が上がった下がった等と些細なことを言っている人たちを見ると腹が立つというFさんに「愛するものを失った人間」特有の「ひねくれ」を共有 しているのかもしれないと思います。

◇Gさん
 青森のGさんから出版社の編集部気付でりんごが届けられた。そのような一方的な行為を疎ましく思っていた朝倉さんにGさんから突然「近くの文房具屋の前 にいるのだが、お宅に行く道順を教えてほしい」と電話があった。
 2時間も知らぬ土地で他人の家を探しつづけた地方の人の遠慮深さを感じ、家に招き入れ話を聞いてみると。

 Gさんは姑に育児を取り上げられ、過保護に育てられた息子が家庭内暴力を振るうようになっていた。息子の家庭内暴力はどんどんエスカレートし最悪の状況 となっていた。息子と心中をしようかと思っていた時に「帰らぬ息子 泉へ」を読ん で生きていく勇気が出たという。
 「あの手記は、魂のめぐりあいでした」という手紙をおいてGさんは帰っていきました。
 ※出版社では著者の住所を教えていませんでした。

◇O君、P君
 息子の三回忌にお参りに来てくれた息子の同級生。
 O君は哲学を学ぶという。出世しやすいとか金が儲かるとかのそういう基準でものごとを見てしまう大人。でも、やりたい道を選んだほうがよいのではと朝倉 さんは思います。

 P君は私立高校でエスカレータ式に進学できるのに、数学を学びたいために浪人覚悟で別の大学を受験すると言う。両親や学校の反対を押し切ってまで数学を 学びたいというP君に「数学やって、何になりたいわけ?」と聞くと笑って答えてくれません。きっと大きな夢があるのでしょう。

◇娘さん
 祖母と兄の異常な死。
 思春期に大変な経験をしながらも、母とふたりして強く生きていこうとされています。健気です。
 冒頭に紹介した娘さんとの会話の後にこんな文章が続きます。

 「しかし、今日、娘の口から聞かされた思いがけぬ言葉は、私に希望を持たせたのです。もしかすると、娘は、踏まれれば踏まれるほど強くなる麦のような人 間になってくれるかもしれない。私をはるかに越えた、強い精神力の持ち主に育ってくれるかもしれない−−。」
 
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