06/05/15
信楽高原鐵道事故
15年前の1991(平成3)年5月
14日、滋賀県信楽町の信楽高原鉄道で信楽発貴生川行きの上り電車と、京都発
信楽行きの
JR臨時快速列車が正面衝突をし、42名が死亡、614名が重軽傷を負うという大きな事故が起きています。
この事故で遺族が提訴した損害賠償裁判で、1999年一審の大津地裁は両社の過失を認定しましたが、JR西日本は事故の責任を信楽高原鉄道に押し付け控
訴しました。
02年12月、大阪
高裁もJR西日本の過失を認定しました。
事故発生後、11年経ったこの控訴審判決をJR西日本はやっと受け入れ自らの非を認めたのでした。
JR西日本は、3回目以降の犠牲者の法要にも出席せず、敗訴後の03年、11年ぶりに垣内社長(当時)が出席し犠牲者や遺族に謝罪し安全を誓いました。
それからわずか2年で福知山線の脱線事故が起こったのでした。
福知山線の事故以来、「企業理念」や「安全憲章」を制定し安全を誓っているように見えますが本物でしょうか?
5月10日には、関西本線で作業用台車が線路上に置き忘れられていて、始発電車が跳ね飛ばすという事故が起きています。
JR西日本のニュースリリースには、「原因」として「保線作業員が作業終了後、現場の確認が不十分であったため」とあっさりと書かれています。
「安全憲章」の2項には「安全の確保に最も大切な行動は、基本動作の実行、確認の励行及び連絡の徹底である」とあるのですが「現場の確認が不十分」との
矛盾はどう解釈するのでしょうか。
JR西日本の「安全の誓い」というのはこの程度のものなのです。
JR西日本を毎日利用するものとしては、その「安全」への不安が拭えません。
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