06/10/29 映画「三池 終わらない炭鉱(やま)の物語」
映画の秋、「三池 終わらない炭
鉱(やま)の物語」を見てきました。
大阪地域での初日は、第七藝術劇場でした。監督の熊谷博子さんの舞台挨拶もありました。
感じたことをいくつか羅列してみます。
公式のホームページはこちらです。http://www.cine.co.jp/miike/index.html
◆負の遺産
三井三池炭鉱のことは地元(福岡県大牟田市)では「負の遺産」といわれていたのだそうです。
確かに三池炭鉱で思いつくことは、強制連行、三池闘争、炭塵爆発事故、CO中毒後遺症、、、と「負」ばかりです。
炭鉱の歴史は「負の遺産」だと聞いて、熊谷さんは映像化して残しておこうと思われたそうです。
◆労働力
◇囚人
15世紀半ばに発見されたという三池炭鉱は1873(明治6)年に国営炭鉱とされました。
当初は近隣の監獄から囚人を集めて労働力として使っていました。
1883(明治16)年には三池集治監(三井監獄が)が作られ、囚人労働は本格化されました。
◇女性
三池炭鉱では、1931(昭和6)年まで女性も坑内作業をしていたそうです。
坑内に入らなくても、選炭などの作業は女性の仕事だったそうです。
◇朝鮮人
朝鮮人の強制連行は、1939(昭和14)年からはじまったそうです。農村に割り当てがあり次三男坊が借り出されたそうです。
二日間休んだだけで憲兵に黒い血が出るくらい殴られ、翌日から身体を引きずって坑内に入ったそうです。
◇中国人
朝鮮人だけで足らなくなった労働力は中国人の強制連行で埋められたそうです。
中国人に対しては、賃金は払われていなかったとそうです。
敗戦時に三池炭鉱で働いた朝鮮人、中国人はおよそ2300人だったそうです。
◇捕虜
第2次世界大戦の捕虜まで炭鉱で働かせたそうです。
証言では坑内に働きに出ると殺されると、自ら骨を折ったり傷つけたりしてサボタージュをしていたそうです。
◇移住者
他にも与論島からの集団移住者も、生活習慣や言葉の違いによる差別の中で働いていたそうです。
◆三井三池争議
1959年1月、三井鉱山は国のエネルギー政策の転換などから経営が悪化していると希望退職を含む合理化案を提示、その後4580人の首切り案、退職に
応じない1278人の労働者を指名解雇しました。
会社側の合理化の目的は、労働組合の活動家の排除にあったことは明確です。
これらの合理化案に対して労働組合は無期限ストライキを組織、会社側はロックアウトで対抗します。
11月、この争議は労働側の敗北で終わります。
◇第2組合
多くの労働争議では、会社側の不当労働行為により会社の意のままになる労働組合(第2組合)が作られます。
映画の証言でも、第2組合が作られていく過程がかなり詳しく語られています。
◇炭婦協(日本炭鉱主婦協議会)
組合員の妻らで組織された炭婦協が、労働争議を支えてきました。
ストライキ中の組合員の家計を支えたのは全国からのカンパなどを配分した月1万円の生活でした。長引くストライキは家計を預かる主婦の負担となってき
て、第2組合へ転向する家族が増えてきました。
◆炭じん爆発事故
大きな労働争議から丸3年後の1963(昭和38)年11月9日午後3時15分、一瞬にして458人の命を奪った炭じん爆発事故が起こります。
生き残った人たち(重軽傷者:839人)はCO(一酸化炭素)中毒となり、脳を冒され家庭生活を破壊されて40数年生きてこられています。
CO中毒患者会の家族の女性たちが、補償を求めて坑内に座り込みをしたときの証言がありました。
ここでも、筑豊の女性は元気でした。
◆風景
◇坑道
坑道は有明海の海底までも数百キロも伸びていたそうです。
CGを使っての映像もありましたが、もう少し詳しい映像があれば、その凄さがもっと迫ったのかと思いました。
◇マンベルト
坑内にはいる労働者は、斜坑といわれる斜めの坑道をケーブルカーのような乗り物で移動します。
水平部分では、工事現場で土砂を運ぶベルトコンベアのような「マンベルト」というものがありました。今ではムービングウォークですね。
◇三池港閘門
干満の差の激しい有明海に面する三池港への船の出入を可能とするために閘門が作られています。
今も現役のようです。
◇火力発電所
冒頭のシーンで三池火力発電所が映されていました。
火力発電所の燃料は輸入された石炭だとのことです。皮肉なことです。
◆物足りなさ
鑑賞後に何か物足りなさを感じていました。
全編、証言者の言葉と監督の熊谷さんの言葉が淡々と綴られています。
囚人労働、強制連行、捕虜労働、資本の介入による第2組合の結成、首切り、炭塵事故、後遺症などに対する明確な批判がありませんでした。
その中には、国や会社の不法、違法な行為も踏み込まれていません。
映画は[企画:大牟田市]とあります。
熊谷監督も市の予算取りに3年かかったといわれていました。
行政の資金が入っているからの歯切れの悪さでしょうか?
といいつつも、現代史の重要な証言です。
是非ご覧ください。
大阪・十三の第七藝術劇場で12月初
旬まで上映されています。
◆訪ねたい街
大牟田も訪ねてみたい街になりました。
炭鉱の遺構や、閘門を見てみたいです。
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