06/11/28 晩年の過ごし方
27日付けの朝日新聞の朝日俳壇に下記のような句が掲載されていまし
た。
十二月八日八月十五日 (長谷川櫂選 東近江市・村井干瓢)
※選者評:二つの日付けを並べただけの句だが、どちらも日本の運命を決定した日付け。十二月八日、開戦日の句。
1941(昭和16)年12月8日は開戦の日ですが、戦争への準備は数年も、十数年も前から、おおっぴらにあるいは密やかに着々と進められていたので
す。
二度と「開戦の日」を迎えないために、もし今が戦前であるなら戦前のままに終わらせるような賢い国民になっていきたいものです。
前回書ききれなかった松田道雄さんの「われらいかに死すべきか」の「晩
年について」の章を紹介しながら、晩年の過ごし方を考えてみます。
◇死とむきあう
生きていることは、死にむかって歩いていることです。
齢を重ねることは、その「死」と直にむきあわねばならない時期です。
松田さんは、老いてむかえる晩年には「老衰による人格の崩壊が、老衰そのものによって、崩壊と感じられなくなる」ことがある。
それに備えるために「知的な能力が十分に残っているときから、準備をしなければならない」と書かれています。
▽自分以外の人間によりかかって生きることを、なるべく少なくすること
▽現世への未練をなるべく少なくすること
▽連帯を少なくすることは、それだけ孤独になる
▽晩年とは孤独に耐えること
◇死に場所
老人を療養する「家」がなくなった現在、「保育に欠けるところの子どもが、公共の費用で保育園にはいれるように、扶養に欠けるところのある老人は、公共
の費用で療養ホームにはいれるものでなければならない。」と書かれています。
そして、療養ホームは病院より快適で、見晴らしがよく、空気がよく、温暖で、ひろびろとして、老人のために料理されたやわらかく美味しい食事がだされる
ような施設でなければならないと書かれています。
◇自死、安楽死
身体の自由が利かなくなっても、本人の知的な能力が今までと変わらないような場合、本人にはやりきれないことである。
痴呆も同様に、ボケている自分が認識できるような痴呆(まだらボケというのでしょうか)の辛さも絶望的に思えます。
そんな老人の自死は許されるのではないかと思います。
「それは、本人の意思で選んだことだから、その人の自由な行動である。とも感じる。」
身体の自由がきかず自らが命を絶つことができないような場合には、積極的あるいは消極的な安楽死も認められるべきでしょう。
苦痛があるなら麻薬も使って欲しい、一切の延命治療は止めて欲しいと思っています。
このような微妙な問題は遺書として意志を明確にしておくべきでしょう。
◇死の美学
「人間はそれぞれ自分だけしか生きられない生き方をしたのだから、その人間にふさわしい死を、死んでいく人に選ばせるべきである。」
自分らしく死にたいものです。
もう少し、時間があります。どう死んでいくかを考えたいものです。
もう少し、私の生き死にについて、こうありたい、こうしたいと、具体的生臭く書きかけていたのですが、昨日古い知人が訪ねてくれました。
久方ぶりの再会、近況を語りあい、ゆっくりと昼食をとりました。
「友あり、遠方より来る。また、楽しからずや」。たまには良いこともあるものです。
と、いうことで、相変わらずですが纏まりのないことでした。
冒頭で朝日俳壇の句を紹介しましたが、同日付けの「折々のうた」を紹介
します。
きづかさやよせさにしざひもお(閑吟集)
「室町歌謡が遊びの気分をたっぷり含んでいたことを一目瞭然示している歌謡。一体何を言っているのか、はじめはわからない。下から逆さに読めば意味は簡
単。「思い差しに差せよや盃」。思い差しとは、わが思う相手に盃を差すこと。なんでもない事のようだが、男女の間の親密さが、こういう言葉遊びにもみごと
に現れている。室町時代が乱世であったということの意味は、こんな言葉遊び一つとっても、単純ではない。」(引用)
「思い差しに差せよや盃」の意味は、十分に理解できませんが、殆どが恋歌という「閑吟集」を読ん
でみたくなりました。
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