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07/12/12 ドキュメンタリーは嘘をつく
 ドキュメンタリー映画監督・森 達也さんの作品を見て、森さんの話を聞く機会がありました。
 作品は「1999年のよだかの星」「職業欄はエスパー」と「ド キュメンタリーは嘘をつく」の3本です。

◆1999年のよだかの星
 テーマは、食品、化粧品など身近な商品の開発過程で、人間への安全性を確認するために行われている動物実験を取り上げています。

 人間のために犠牲になる動物の尊厳?はどう守られるのか、人間の命と動物の命の重さ、、、

 筋ジストロフィーを罹病している子供の親に、筋ジストロフィーの治療の研究のために犬が使われていることを説明し、動物実験の是非を問うシーンがありま したが、我が子の命と家族同然としてもペットの命とが比べられるものではありません。

 よく分からない、難しいテーマでした。
 日本では動物実験に関して法的規制がなく野放しになっているそうです。


◆職業欄はエスパー
 
二十数年前に世間を賑わしたスプーン曲げ少年・清田某氏など「自称」超能力者を追いかけ たドキュメンタリーです。
 頭が固いのか未だに超常現象は信じられないので、トリックのあるマジックとの区別もつきませんでした。
 鳩山法務大臣のようですが、知人の知人が超常現象を信じる立場の人間として、得々と訳のわからぬことを喋っていました。


◆ドキュメンタリーは嘘をつく
 そのようなドキュメンタリーが「嘘をついている」とのテーマの作品です。

 帰省客で混雑する新幹線のホーム、望遠レンズを用いてローアングルで人ごみを写せば混雑の度合いを協調することができます。製作者の「帰省ラッシュで混 雑して大変!」という予定調和を満足させるための映像です。

 世の中は、活字になったり、テレビで放送したり、政治家や学者が言うこと、繰り返し流される情報は「事実だ」と思い込む人たちが多く、為政者たちは 随分と楽に政治を行えるのです。

 「ゆきゆきて、神軍」の原一 男監督が語る「ドキュメンタリーは『フィクション』」との言葉はドンときます。
 製作意図がないドキュメンタリーは監視カメラの映像と同じで、製作側の製作意図が反映されなければ「作品」として成立しないのではないかと思いま す。
 明確な製作意図をもって撮影されてた映像、明確な製作意図をもって編集された作品は「フィクション」だと思います。

 テレビのニュースで、街頭インタビューが時々放送されます。
 それについて、森さんは「製作者のアリバイ作りのため」と言い切っています。
 製作側(製作者やスポンサーなど)の製作意図に沿った、意見をわざわざ仰々しく多数者の意見のように取り上げているだけです。
 同様に、世論調査の結果も信用できないと思っています。

 「世の中の出来事を全て疑って見るように」と教えてくれたのは高校の教師でした。
 世の中の出来事を疑うには、複数の情報により「裏を取る」ことが重要ではないかと思います。

 テレビや新聞、そして知識人といわれる人たちが、大衆をだまし続けて きました。
 ひとりでも多くの人が、少し違った角度から物をみるだけで社会は変わるように思います。

 =マスメディアの垂れ流す情報はフィクションである=
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