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09/06/23 足利事件、菅家さんインタビュー

 今日(6月23 日)は64年目の沖縄慰霊の日です。糸満市摩文仁の平和祈念公園内の「平和の礎(いしじ)」には240,734人の犠牲者 の名が刻銘されています。平和祈念公園では「沖縄全戦没者追悼式」が行われました。

 麻生首相が出席し挨拶をしています。
 言葉にも挨拶の態度にも「熱」を感じさせないものでした。自分の言葉を持たない人らしい「挨拶」でした。彼の周りにはスピーチライターと呼ばれる ような人はいないのでしょうか?
麻生首相挨拶(要旨)」(毎日新聞 09/06/23)

 さて、東京高裁は足利事件の再審開始の決定しました。再審の過程で冤罪を生んだすべての責任が明らかにしてほしいと思っていましたが、「臭いものに蓋」 がされてしまいそうです。

  菅家さんのインタビュー記事(2009年6月7日 横浜市の佐藤弁護士の自宅にて)が、 江川紹子さんのWebサイトに掲 載されています。

◆「無職」作り
 菅家さんは幼稚園の送迎バスの運転手をしていました。
 逮捕時の報道をみると「無職」、続報では「元幼稚園運転手」となっていましたが、「無職」の理由がわかりました。

 「(仕事で)幼稚園の送迎やってました。それで、まあ、 刑事がきたわけですよ、幼稚園に。それも、後になって聞いたんですけど、刑事が来たとか。それで、 自分がね、解雇されたんですよ。その後ですけどね。気がついた、っていうか、教わったっていうか…」
 「自分は辞めさせられて、他の幼稚園に行ったんですよ。もう一度送迎やろ うと。そこの幼稚園行っても、二日間でまた辞めさせられたんですよ。その辺で、お かしいと思ったんです」
 「そうそう、自分としてはね。真面目にやってるつもりな んですよ。一切事故も起こしたこともないし。だから、保育園の送迎やったときも、先生に、信頼され ていた訳ですよ、私は」(「」内は引用、以下同様)

 二度も職場に警察官が現れた結果、幼稚園を解雇されています。
 「幼児にいたずらをした疑いがかかっている」くらいのことは言っていたでしょう。幼稚園はそんな人は解雇となったのでしょう。
 そして、警察発表では「無職○○」と意図的に発表したのでしょう。
 未だ罪の確定しない人の職を奪う権利が警察にあるのでしょうか。

◆なぜ「自白」したのか?
 やっていない罪をそんなに簡単には認めないだろうと思い ます。
 今までの冤罪事件では、長時間にわたり身柄を拘束された人が精神的に追い込まれて「自白」しています。
 菅家さんの場合は、比較的早い段階で「自白」しています。では、なぜ菅家さんは自白をしたのでしょう。

 警察は市民を守ってくれるところと思っていた人。
 故なく解雇されても理由もたださずに泣き寝入りする人。
 喧嘩はしたことがない人。
 刑務所で暴力を加えられても刑務官にも言えない人。
 黙秘権があることも知らなかった人。
 検察官と弁護士の違いも知らなかった人。

 権力を持つ人は社会の一番弱い人に合わせて、一番弱い人の利益を守る信念がなくてはなりません。
 人間の弱さに付け込んで陥れるようなことがあってはなりません。

 「任意」同行から「自白」に至る経緯を次のように話しています。

◇「任意」同行
 「いきなりです。刑事が、いきなり来たんですよ。

 「自分がね、午前7時頃に起きたんですよ。パジャマ姿です。玄関の方で音 がするんですよ。誰だろうな、と。カーテンと鍵を開けましたら、『菅家、いる?警 察だ』っていうんですよ。開けたら、ドカドカって入り込んできて。なんだこの野郎、と思ったら、『おう、そこ座りや』」って言うんですよ、刑事が。で、言 われたまま、座ったわけですよ。そしたら、『お前、子ども殺したな』って言うんですよ。『子ども?! 知りませんよ』って言ったんですよ。そしたら、言っ た途端に肘鉄砲ですよ。自分をドーンと突き飛ばして。自分はどんとひっくり返って、ガラスが割れるわけですよ。もう少しで頭ぶつかりそうでしたよ。もしぶ つかってたら、切っちゃってましたよ。もう1人の刑事が、ポケットから写真を出したんですよ。その写真が、真美ちゃんなんですよ。自分も、真美ちゃんの写 真に見覚えがあるんですよ。その見覚 えっていうのは、パチンコ屋さんの、入り口に貼ってあるのと同じなんですよ。」

◇密室
 
「やはり警察というところは、市民を守る。そういう風に 思ってました。ところが、実際に自分がね、無実の罪でね、捕まって、取り調べをされて、髪の毛を ひっぱったり、蹴飛ばされたりしてね。取り調べのときね、私はね、『やってない』『やってない』と言ってたんですよ。ところがね、頑として聞き入れてくれ なくて。(語気を強めて)『お前がやったんだ!』と、こうですよ。デカい声で。『証拠があるんだ』と。でもその時、言い返すことが、自分はできなかったん ですよ」
 (黙秘権の告知は)「それは、自分は聞い てないと思う。裁判の時は、聞いたと 思う。その時は聞かなかった」

◇「自白」
 「今からやるからと。『お前は子どもを殺したんだな』と。自分はやってない ですから、『やってませんよ!』と。『お前がやったんだ』『やってませんよ』 と。それの繰り返し。一日中。それで、夕飯が終わってから、『証拠がある』と。証拠があるとしても、自分は何の事か分からないし。当時、DNA鑑定のこと は自分も分からないし。刑事も知らないと思う、DNAって。『やってる』とか、『やってない』って。同じようなこと(をずっとやりとりしていた)。夜10 時くらいになって、これじゃあ、自分は帰れないと。もういいや、どうにでもなれと。『はい、分かりました、自分がやりましたよ』と言ったら『おお、そう か』と。こうですよ。その日は(取り調べは)それで終わったんです」

 「そういうことですよ。やって、泣いてたんじゃないです よ。悔し涙ですよ。本当に。だから今だったらハッキリと言いますよ、やってないと。当時は、何も分 からないですから。本当に初めてで。警察というのは、市民を守ってくれると、ずっと思ってましたから。なのに『お前がやったんだ』と言われるとは思ってな いし」

 一旦「自白」すると供述調書は警察の誘導でどうにでも書かれてしまいます。
 「それは、(実況見分で)。警察官と現場に行ったとき に、刑事が、『真美ちゃんの死体はどこにあるんだ?』と。自分は分からないから、(適当に)『ここで す』と言った。すると刑事は『違う、もうちょっと向こうだ』と言って、『ここだ』と(別の場所を示した)。それで、ここかと思った。自分は(遺体のあった 場所を)分かりませんから」

 冤罪事件の供述調書はこのようにして作文されていきます。

 少々変わり者の私でも、突然警察署に連れて行かれ「白を黒」と繰り返し言い続けられれば、いい加減に相手に迎合しないとの自信はありません。
 でも、一時的ではあっても部分的であっても相手の言い分に迎合してしまえば、それをひっくり返すのは至難のことであることを覚えておきましょう。

◆弁護人
 (弁護人に本当のことを言いたい気持ちはとの問いに)
「それはありましたけど、でも、それを言うと怒られると か、そういう風に思ってましたね」
 「弁護士に」
 「いや、イメージも何も、分からないですよ。何も知らない。弁護士という言葉も分からなかったし、検察も分からなかったし。ただ分かっていたのは警察で す よ。市民を守る。それぐらいしか分かってません」

 お兄さんがなけなしのお金で雇った私選弁護人は
「菅家さん、本当にやったんですか?」と言ったそうです。

 弁護団の佐藤弁護士は、弁護士に反省を迫ると
 「こんなおとなしい人で、(警察で)すぐ潰されちゃってるでしょ。そのう え、弁護士の役割も分かっていない。弁護士は、よっぽど『本当のことを言っていい んだよ』って言ってあげないと、本人の心には届かないですよね。」と話しています。

◆17年半の拘禁生活
 塀の中のことを読んで信じられませんでした。

 (同房者から)「殴られたり、肋骨を2本折られて。洗面 器の中に水をいっぱい入れられて、顔を頭から押さえつけられて、もがきましたよ、私は」
 「その人は昔、暴走族だったんですよ。ものすごい乱暴者で。自分だけじゃなくて、他の人にもやったらしいんですよ」

 「それを(刑務官に)言ったら大変ですよ。殺されちゃいますよ。自分はそ んな目にあいましたから。12月の寒い時ですよ。トイレの中へ、裸で、すっぽんぽ んですよ。閉じこめられたんですよ、一晩中ですよ。『てめえ、中入ってな、こごんでろ!』こういう風に、(便器を)またいでろって言われたんですよ。しま いには、『しょんべん飲め』とか。溜まってるんですよ。タワシの中にこういう、タワシを置く入れ物がありますよね。溜まっちゃうんですよ、どうして も。それを飲めっていうんですよ。それからあと、もう一つ。うんこですよ。食えっていうんですよ。そういうんですよ。」

 江戸時代の牢屋であるまいし、ハリウッド映画じゃあるま いし、こんなことが日常的に行われているのです。刑務官は(多分)自分の身が可愛さに見て見ぬ振りをしているのでしょう。

◆謝罪
 権力を持って罪なき人を陥れた人たちは、菅家さんに応分の謝罪をすべきでしょう。

 「やっぱり、自分としては、当時の刑事、検事。この2人 ですよ。それから、裁判官。この3つですね。ものすごく怒ってますね」
 「ああ、その通りですよ。今もその気持ちは変わってません。今でも来てもらって、謝ってもらいたいですよ。もし、今でもね、当時の刑事が、当時の気持ち と 同じでいたら、ぶん殴りますよ。殴りたい気持ちです。今、本当に。それだけ怒ってますよ、今。絶対許さない。謝りにくるまで。冗談じゃない。そのために ね、自分の親父ですよ。ショックを受けてね、亡くなったんですよ。だから、亡くなったのは誰のせいだと言いたいんですよ。刑事でしょ。だから、絶対許さな いですよ。今でも。絶対許さない。(涙)そうですよ、両親ですよ。悔しながら死んでいったんです(涙)」

 ぜひ、生々しいインタビューをお読みください。他にも足利事件関連の記事があります。

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