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09/07/03 三浦綾子「銃口」

 新 右翼の鈴木邦男さんのブログ「鈴木邦男をぶっとばせ!」に、「『銃口』は誰に向 けられていたのか」と題した三 浦綾子さんの「銃口」が紹介されていました。
 鈴木さんは、憲法9条を守ろうとする「マガジン9条」の常連寄稿家ですから驚くこともないのですが、戦前の左翼思想の弾圧事件(北海道綴方教育連盟 事件)をテーマにした小説を紹介されているとは不思議な人です。という私も鈴木さんのブログをチェックしているのですからおかしなもんです。この記事を読 んで「銃口」を読み始めました。

◆「『銃口』は誰に向けられていたのか」
 鈴木さんの記事から気になった部分を紹介します。

◇大行天皇奉悼歌
 1926(大正15)年12月、大正天皇が逝去しました。御大葬という葬儀がなされたのが翌年2月でした。
 その時、大正天皇の死を悲しむ歌(大行天皇奉悼歌)が作られ小学生たちが歌ったそうです。
 新右翼の鈴木さんもご存じなかったようです。

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 地にひれ伏して 天地(あめつち)に
 祈りし誠 容れられず
 日出ずる国の 国民(くにたみ)は
 あやめもわかぬ 闇路行く
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◇戦争柄

 戦争中、羽織や襦袢などに、戦車や日の丸、兵士の柄が描かれた着物が流行っていたそうです。
 戦後も「
何と、かわいい子供がGI(米兵)の格好をして、ジープに乗っている。ゲッと思って、やめてくれよ!と思った。」 (引用)

 NHKのETV特集で「戦 争を着た時代」が放送されていたそうです。
 軍部から強制されて作られたのではなく、戦勝気分に浮かれていた国民に売れるから業者が作ったそうです。
 この頃の若い人がファッションとして着る迷彩柄に不安を感じるのは私だけでしょうか。

◆ストーリー
 
北森竜太の小学生から始まり、恩師に憧れてなった教師生活、治安維持法違反の疑いで7ヶ月の拘留生活、召集、敗戦、帰 国、教壇への復帰する青年時代まで半生の物語です。

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昭和元年、北森竜太は北海道旭川の小学4年生。納豆売りをしている転校生中原芳子に対する担任坂部先生の温かい言葉に心 打たれ、竜太は教師を志す。竜太の家は祖父の代からの質屋。父、政太郎は侠気の人で、竜太が中学生の折、工事現場から逃げ出した朝鮮の青年、金俊明を匿 い、ひそかに逃がしたこともある。日中戦争が始まった昭和12年、竜太は望んで炭鉱の町の小学校へ赴任する。生徒をいつくしみ、芳子との愛を育みながら、 理想に燃える二人の背後に無気味な足音、それはこれからの過酷な運命の序曲だった。
 昭和16年、竜太は想いもよらぬ治安維持法違反の容疑で勾留、7か月の独房生活の後、釈放された。坂部も同じ容疑で捕えられ釈放されたもののすでに逝く なっていたことを知り慟哭。芳子や家族に支えられ、ようやく立ち直った矢先に、召集の赤紙が届く。それは芳子との結婚式の直前だった。軍隊生活、そして 20年8月15日。満州から朝鮮への敗走中、民兵から銃口を突きつけられる。そこへ思いがけない人物が現れて助けられ、やっとの思いで祖国の土を踏む。再 会した竜太と芳子にあの黒い影が消える日はいつ来るのか―。
-------------------(Amazon Bookデータベースより)

 竜太の父親、坂部先生、金俊明、芳子、、、とても彼らのような生き方はできません。心優しい人たちの心優しい物語です。

◆北海道綴方教育連盟事件
 1941(昭和16)年1月、幌志内小学校の教師・竜太 が治安維持法違反の疑いで特高に捕まったのは、北海道綴方教育連盟事件といわれる弾圧事件です。

 1925(大正14)年治安維持法が成立し、その後2度の改悪を経て戦争に反対する人々を弾圧していきました。
 1928年:3.15事件、共産党関係者1568名検挙さる。
 1929年:4.16事件、共産党関係者300名検挙、この年の治安維持法違反容疑による検挙者数4942名。
 1933年2月20日:小林多喜二が築地署で虐殺されます。

 日本共産党を壊滅状態に追い込んだ特高警察は取り締まるべき対象をどんどん広げていきます。
 1935年の大本教弾圧をはじめとした宗教弾圧が本格化します。
 1940年京大俳句事件で渡辺白泉、西東三鬼、栗林一石路、橋本夢道らが検挙されます。

 そんな状況の中、
生活を土台とした綴り方で現実を表現させようとした教師たちがいまし た。
 治安維持法違反の名目で1940(昭和15)年11月北海道綴方教育連盟の幹部3名が検挙され、翌1941年1月全道で52名が検挙されました。

 竜太が最も尊敬する恩師の坂部先生も同じように捕らえられ拷問により病死してしまいます。
 実際に治安維持法違反で検挙され亡くなっていた教師がいたそうです。

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 戦前・戦中のきびしい教育統制下、子どもたちを心から愛して、未来に希望をつないだ教師たちがいました。北海道綴方教育連盟事件で、死亡した横山真(ま こと)(当時、十勝郡・大津小)もそうした一人でした。横山は、新婚2カ月目の1940年11月20日、治安維持法違反で検挙され、2年半の長期勾留中、 危篤状態におちいり仮出所、小康をえたのもつかの間、43年10月12日、腸結核のため亡くなります。28歳の若さでした。
-----------------(引用:しんぶん赤旗「北海道綴方連盟事件で命を奪われた教師とは?」)

 竜太は共産主義者とは程遠い皇国青年でした。
 共産党弾圧の時、「あれは主義者だから」と思っていたら、いつの間にか絶対権力を持った特高警察は宗教家、文化人、教師の思想まで取り締まるようになっ てきました。

◆是非、若い人に
 三浦綾子さんの本は初めてでした。
 わかりやすい文章で、時代背景やキリスト教のことなどを書き込んであり、私にも一気に読むことができました。
 今日の日がいつ戦前になるかもしれません。
 若い人に是非読んで欲しいと思います。

前進座「銃口」公演
 三浦綾子没後10年公演が7月、8月と全国巡演されます。
 私は06年9月に、知人のお世話で見ることができましたが、また見てみたい舞台でした。

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