09/09/16 山崎方代歌集「こんなもんじゃ」
民主党政権が誕生
しました。超タカ派の元代表が防衛大臣にならなかったのは幸いなことです。
期待半分、不安半分と言うのが私を含め一般の感想でしょう。しばらくは静観するしかないでしょう。
昨日は仕事が休み
だったので、2週間振り
に梅田に出ていくつかの所用を済ませました。
いつもの通勤ルートは桂川の左岸のサイクリングロードを走っているのですが、先日の帰りに右岸を走ったところ、荒い砂利道でリム打ち
パンクをしてしまいました。予備のチューブがなくなったのでシルベストサイクルで1本480円で買いました。
大型書店と社会科学系書店と本屋を2軒はしごしました。文房具店で気に入っているボールペンの替え芯を買いました。
その後、馴染みのバーで自転車談義を。今度の連休に私は所用でどこにも行けず、マスター氏も家庭サービスでフリーな時間は1日だけとか。他人と話す機会
のない私には良い言語リハビリでした。
14日の朝日新聞に掲載されていた山崎方代(やまざき・ほうだい)さんの記事を昨日の残日録で紹介しました。山崎方代さんを始めて知って手はじめに死後
に代表的な歌を集めて編集されて歌集「こんなもんじゃ」を読みました。私のことだろうかと錯覚をおこすように身に迫る歌集でした。いくつかの歌を紹
介します。
◆略歴
1914(大正3)年11月1日、山梨県に生れる。
1941(昭和16)年、応召。台湾、マレーなど南方を転戦。
1943(昭和18)年、チモール島での戦闘で砲弾片を浴び右目を失明、左目も視力0.01となる。
1946(昭和21)年、帰還。十代からはじめていた作
歌を再開する。
1985(昭和60)年8月19日、肺ガンによる心不全のため死去。
◆気になった歌
◇股ぐらに手をおしあてて極楽の眠りのそこにわれ落ちゆく
布団に入って冷えた手を股ぐらに挟んで寝るのは私も好きです。
手が暖まるとすぐに眠りに落ちていきます。極楽ですね。
◇いつまでも転んでいるといつまでもそのまま転んで暮らし
たくなる
怠惰に生きていると、そのまま怠惰な生活をしてしまう。私にもその傾向があるようです。
たまには自分に活を入れて、生活を「正しい」筋に戻そうとしています。
◇まばたけるわがまなそこに映えているなべてのものは過去
にすぎない
方代さんの目は右目は失明、左目は弱視で物の形ていどし
か認識できなかったそうです。
その目に見えているものは、すべては過去に過ぎない。未来が見えなかったのでしょうか?
◇約束があって生れて来たような気持ちになって火を吹き起こす
生まれ出る約束などあろうはずがありません。運命を信じるようなそんな気持ちになりたい時もたまにはあります。
◇今日は今日の悔を残して眠るべし眠れば明日があり闘いが
ある
悔いを残して眠る日の多いこと。しかし明日の闘いとは?誰と何を闘うのでしょう?
◇死ぬほどの幸せもなくひっそりと障子の穴をつくろってい
る
死ぬことが幸せとはどんな生き方でしょう。そんなに生きていることが苦しかったのでしょうか?
◇行く先をもたざるわれも夕方になればせわしく先をぞ急ぐ
分かります。何もすることがない、行宛てがなかっても、急ぐことがなかっても電車が来れば慌てて乗って見たりする。
人並み、人並み。
◇柿の木に冬日が赤く当りいるミもフタもない可笑しさであ
るよ
なんだか可笑し味があります。柿の木に冬日が当っている
ことが、実も蓋もない可笑しさとは。
◇こんなにも赤いものかと昇る日を両手に受けて嗅いでみた
赤い朝日を両手に受けて匂いで見る。私はしませんが方代さんはそんなことをする人だったのですね。
◇いつまでも握っていると石ころも身内のように暖まりたり
山崎さんの歌には身の周りの土瓶や茶碗、石ころなどがよく詠まれています。
この歌も、路傍の石ころも握っている間に心通い合うような気がしてくるということでしょうか?寂しくしんみりとした歌ですね。
◇わたくしの六十年の年月を撫でまわしたが何もなかった
昨日も紹介した歌です。よく分かる歌です。
私も六十年を振り返っても、人様に自慢できるようなことは何もありません。でも無為な六十年ではなかったと思っています。
◇一生に一度のチャンスをずうっとこう背中まるめて見送っ
ている
こういうことってあると思います。私の「チャンス」も背中を丸めている内に通り過ぎたのかもしれません。
もうこの歳になっては、もう一度のチャンスはないでしょう。
◇すりへりし靴の踵を引ずって家あれば家に帰らねばならぬ
方代さんには帰るべき家があったのでしょうか?帰るべき家を持つ人は足を引き摺っても帰らなければなりません。方や帰るべき家を持たないものはどうした
らよいのでしょうか?
◇働かなければ食べてはならぬということを信じてきたり石
頭なり
一昨年末に離職してから定職に就けずにいます。「働かざるもの食うべからず」と人間は勤勉でなくてはならないと教え込ま
れて人間には収入の多寡ではなく一人前の人間ではないような気になるものです。
◇ふるさとの右左口郷(うばぐちむら)は骨壷の底にゆられ
てわがかえる村
旧山梨県東八代郡右左口村上宿に生まれました。24歳の
時に横浜市の姉の嫁ぎ先に父とともに引き取られています。
故郷を捨てたのか、故郷を追われたのか、誰も住まない故郷は骨になってからしか帰れないのでしょうか?
◇地上に夜が降りくればどうしても酒は飲まずにいられなく
なる
方代さんは予想どおり酒飲みだったようです。私も酒飲み。
「夜が降りくれば」の表現が粋ですね。夜になれば酒を飲まずにいられないと言うだけのことですが。
◇近づけど向こうへ道はのびどんぐりの実がころがりいたり
高村光太郎は「私の前に道はない。私の後ろに道は出来
る」と言っていますが、私など凡人には自分の前の道が永遠に続くように思えてしまいます。
進んだ分だけ道が延びていく、行く宛てのない旅人にはそう見えるものです。
◇地上より消えゆくときも人間は暗き秘密を一つ持つべし
秘密を持つことは楽しいことです。暗き秘密となると話は別ですが、何となく分かるような気がします。
死ぬまでに暗い秘密を持つことにしましょう。
◇右の手に鋤をにぎって立っておるおや左手に妻も子も
いない
方代さんは生涯独身だったようです。
右手に労働の象徴の鋤をもっても、左手には何もない。「おや左手に・・・」の「おや」がいいですね。
◇連なれる五本の指の一本は仲間はずれのようである
どの指が仲間外れのように見えたのでしょう?
社会から疎外されている自分を描いて哀しい。私も同様です。
◇長い長い一日である私は何処にもいない一日である
一日が終わった。わたしはこの一日何をしていたのだろう。居ても居なくてもよいような「私」とはいったい何者なんだろう。
◆方代・私の一首
著名な方が「私の一首」と一言を書いておられます。
◇東海林さだおさん
<卓袱台の上の土瓶心中をうちあけてより楽になりたり>
東海林さだおさんは、この本の表紙絵(方代さんの肖像)を書いておられます。
「この短歌を読むと、方代さんが本当に卓袱台にすわって、真剣に心中をうちあけている光景が目に浮かぶ。/方代さんも真剣だが、土瓶のほうだって真剣
だ。ときどき頷いたりして聞いてくれたに違いない。/土瓶に頷いてもらえれば、そりゃあ誰だって気持ちは楽になる。よかった、よかった、と、楽になった方
代さんを心から祝福してあげたくなる。」(引用)
◇俵万智さん
<こんなにも湯呑茶碗はあたたかくしどろもどろに吾はおるなり>
俵万智さんの短歌も口語体で独特の味わいがありますが、方代さんの歌は同じように口語体ですが、その味わいは対極にあるように感じます。
◇谷川俊太郎さん
<このようになまけていても人生にもっとも近くで詩を書いている>
「なまけているとは、何かをしよう、何かになろうとせずに、ただそこに『いる』ことだろう。誰でもちょっとの間ならできるだろうが、ずうっとただ『い
る』のは容易なことではない。方代さんが定職も定住する家も妻子ももたなかったのは、ただ『いる』自由が欲しかったからだ。それは方代さんにとって、人生
に近づく道であるとともに、詩に近づく道でもあった。/この一首は七五の定型におさまっているけれど、その調べに詠嘆のないところに私は惹かれた。」(引
用)
◇中野翠さん
<石の上に雪がひそひそつもりおるかたわらに立つ吾すらもなし>
「山崎方代さんという人は固まって動かないものがよっぽど好きな人らしいのだ。石だの茶碗だの土瓶だの釘だの。たぶん、みんなそこらの物。形や色はどう
でもよく、固まって動かない物の存在感のほうに惹かれるのだろう。心をこらしてみつめていると、石も茶碗も笑い出すらしい。」
◇小島信夫さん
<戦争が終ったときに馬よりも劣っておると思い知りたり>
「ここに揚げた歌にしても、いかにももっともだが、このように呟いてみせた人はいなかったと思う。散文的でこれが歌というのなら、とぼくらも気楽にその
気になっても、そうは問屋がおろさずペンを投げ出すだろう。それにしても『劣っておる』と思ったイキサツは何であったのだろう。」(引用)
◆方代伝記
方代さんは不思議、種田山頭火に似た雰囲気があります。
方代さんの人間に興味がわきます。そのうち伝記風の本も読んで見たいと思います。
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