10/09/18
「いのち」の価値
菅改造内閣が発足
しました。
顔ぶれをみるとこの内閣は誰に奉仕する内閣だろうと思ってしまいます。
共産党の市田書記局長は「アメリカと財界が歓迎している内閣だ」(「『米国・財界 歓迎内閣だ』市田書記局長が会見」(しんぶん赤旗
10/09/18)と言っているようですが的を得た指摘だと思います。大多数の日本国民より一握りの金持ちとアメリカに奉仕する内閣には何も期待できませ
ん。
この夏は猛暑と言われながらもエアコンを使わないで過ごしました。気分的には、三分の1が原子力発電と電気を少しでも使わないで済みましたが、夏の疲れ
と慣れない仕事の疲れとでバテ気味の毎日です。
私は旧のドナーカード(臓器移植提供意思表示カード)を持っていますが、最近、その意志を撤回しようかと思い出しました。
人の命に格差があるような気がしてならないのです。
今年の7月から臓器移植法(臓器の移植に関する法律)が改正されて、本人の意思表示の有無にかかわらず家族の承諾があれば移植のために臓
器が提供できるようになりました。その結果、今日(18日)までに9件が家族の承諾のみで臓器提供がされています。(「脳死判定:家族承諾で臓器提供へ 9例目」毎日新聞 10/09/18)
「臓器移植批判に反論する」というサイトによれば、心臓移植の場合に掛かる費用
は9百万円から11百万円だそうです。人の命は地球より重いといってもそれだけの費用を用意できる患者や家族は多数者ではありません。
金持ちだけが他人から臓器の提供を受けて命を永らえられる。貧乏人は天命と諦めて死を待つしかない。
臓器移植の技術がなかったころには、金持ちも貧乏人もある程度は平等であった命も科学の発展とともに格差が生じてきたのではないでしょうか?
医療立国を目指した吉里吉里国(井上ひさし著「吉
里吉里人」)では、金持ちだけが長生きしないように臓器移植を受けるにも○歳以上の老人にはしないとか規制があったように思います。
また、今日の朝日新聞には、非正規労働者の逸失利益(交通事故などで亡くなった場合などに将来得られた収入)は正規労働者より少なくすべきだという裁判
官の論文が取り上げられていました。「『命の値段』、非正規労働者は低い? 裁判官論文が波紋」(朝日新聞 10/09/18)
これも命の価値の問題です。記事ではこの論文に批判的な
論調ですが、非正規労働者と正規労働者では明らかに所得に開きがあり、なおかつ収入の安定度も違うのだから逸失利益に格差があって当たり前だと思います。
問題は非正規雇用で働くしかない社会にあるのです。
相変わらず、何が言いたいのかわからない書き込みでした。
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