Google
WWW を検索 残日録内 を検索
←Back  Haiku  Photo Mail Archives Twitter  Next→

10/10/29 宮本輝「泥の河」

 昨夜はTさんと旧店での営 業最終日となった大阪・阿倍野の居酒屋「明治屋」に行ってきました。

 早めに出かけたにもかかわらず、平日にもかかわらず、店内は9割方埋まっていました。いつもは常連のおじさんたちが座っているカウンターの奥に座れまし た。
 ここで飲み食いするのはいつも決まっています。
私の場合は、取りあえずのビールの後に銅 製の特製?の器で燗をした燗酒を2〜3本、湯豆腐、きずし(〆鯖)、Tさんの場合は湯豆腐、出し巻き、シュウマイだそうです。

 明治屋のあるJR天王寺駅から南に延びる
あべの筋の西側一帯が「再開発」されていて商店 や民家が立ち退いています。右の写真は昨夕の明治屋です。三菱東京UFJ銀行とりそな銀行が駅前から明治屋の右と左に一時退避の移転しています。後ろの建 築養生シートまで道路になるそうです。

 明治屋の店内の喧騒がフトと途切れると、表通りを路面電車(阪堺線)がガタンゴトンと通り過ぎていきます。店内のカウンターの左右には女将の手による
品 書きが書かれた大きな黒板、右には銅製の湯豆腐の鍋、真ん中に燗器、その後ろに大きな酒樽、その上には活花、季節毎に換えられる小さな色紙、左手奥には常 富大菩薩を祀った神棚、調理場を抜けると綺麗に掃除が行き届いたトイレ等々、、、来年4月には新しいビルで再開されるそうです。

  初めて宮本輝さんの作品を読みました。「泥 の河」(「蛍川・泥の河」所載)は、大阪下町に暮らす少年らの物語です。

 趙博(ちょう・ばく)さんの声体文藝館「泥の河」の公演を見に行くために事前に映画「泥の河」を観たかったのですが、手に入らず小説を読 みました。

 大衆食堂を経営する父母に育てられる少年・信雄、店に出入りするポンポン船で働く男たち、馬車引きの男、土佐堀川の泥の中から沙蚕(ごかい)を採る老 人、「橋げたに絡みついた汚物のよう」な船に住む喜一と姉、姉弟を育てるために売春をする母など社会の底辺に暮らす人たちが登場します。

 ある日、馬車引きの男が船津橋の坂で後戻りした馬と荷車に踏み潰されて死んだ。
人の死、戦争と死。
 遊び仲間の父親の中には戦争の武勇伝を語る人も多かったが信雄の父・晋平はコップ酒を飲みながら静かに戦争体験を語って聞かせるのでした。

------------------------

「わしかて、いっぺん死んだ体や。あの馬車のおっさんが死んだ日、ほんまに あの日は一日中、体がきゅうっと絞りあげられるような気持ちやったで。いっぺん死んだ体やさかい−−あいつ、そない言うて 死によった。あいつも、わしも、いままで何編も何遍も死んできたような気がしたんや。かったいな話やけど、ほんまにそんな 気がしたんや。人の死に目に逢(あ)うたんは、あれが初めてやないでェ、そらもう何人の人間が、わしの傍(そば)でばたばた倒れていきよっ た。・・・・・・そやけど、あんな気持ちになったのはあの日が初めてや」
 信雄は膳(ぜん)に凭(もた)れてポカンと父の顔を見つめていた。
「ほんまにあっちゅうまに死んでしまうんやでェ、いまのいままで物言うとったやつがなあ。部隊で生き残ったんは二人だけや。日本の土踏んだとき、俺(お れ)はしあわせや、何にものうても、生きてるというだけでしあわせや。真底そない思たもんや。何年ぶりかでお母ちゃんの顔見て、俺の女房こない別嬪(べっ ぴん)やったかとほっぺたつねったわ」

------------------------(引用)

 喜一の母は夫を戦争でうけた傷が元で亡くし、ぼろ舟の自宅で体を売っている。そんな母の稼ぎを知りながら生きている姉弟が涙が出るほど愛おしくてなりま せん。

------------------------
「お米、温いんやで」
 そうささやいて、銀子は両手を米の中に埋めた。
「冬の寒いときでもなあ、お米だけは温いねん。のぶちゃんも手ェ入れてみィ」
 信雄は言われるままに、手を米櫃に差し入れると肘のへんまで埋めた。少しも温いと思わなかった。汗ばんでいた手は逆に米粒に冷やされていった。
「冷たいわ……」
 信雄は手を引き抜いた。両手は真っ白になっていた。
「うちは温いわ」
 銀子は両手を埋めたままじっとしていた。

「お米がいっぱい詰まっている米櫃に手ェ入れて温もってるときが、いちばん しあわせや。……うちのお母ちゃん、そない言うてたわ」
------------------------(引用)

 貧しいことは感性を磨くのでしょうか?
 役所に追われ次の停泊地を求めて
ポンポン船に曳かれていく親子の船に「きっちゃーん」「きっちゃーん」と川沿いの道を追 いかける信雄の姿が目に浮かぶようでした。

 主人公の少年・信雄は、小説の設定では昭和三十年に8 歳、作者の宮本輝さんも私も同世代で懐かしく読みました。それに舞台が大阪下町(大阪市北区、福島区、西区の区境界辺り)で、文 中には大阪に出て来て働き出した頃の懐かしい地名が堂島川、土佐堀川、安治川、昭和橋、端建蔵(はたてくら)橋など出てきます。

 信雄の両親が経営する「やなぎ食堂」はこんなところにあったそうです。

 「その昭和橋から土佐堀川を臨んでちょうど対岸にあたる端建蔵橋のたもと に、やなぎ食堂はあった」(引用)

 右は昭和橋の東詰から端建蔵橋(右の青い橋)を臨んだ写真です。左手の白い建物(住友倉庫)の辺りに「やなぎ食堂」はあったのでしょうか?

 昔大阪は「浪華、八百八橋」といわれるほどに橋の多い町だったそうです。大阪市の「大阪橋ものがたり」というサイトに橋の解説などがされています。

 図書館で、大阪出身の橋爪功さんが朗読する「泥の河」を借りて聞きました彼
の大阪弁は今ひとつで した。坂本スミ子さんなどの朗読で聞きたいものです。趙博さんの声体文藝館「泥の河」が楽しみです。
inserted by FC2 system