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11/06/05 逝くことと、送られ方
 先 日、知人のお別れ会に参列しました。七十数歳と現代ではいくらか早過ぎる逝き方だったのですが、私にはうらやましい逝き方、送られ方でした。

 生前の水臭いお付き合いの仕方を詫びる意味もあり、前夜(通夜のような?)からお参りをさせていただきました。故人の遺志だったのでしょうか、お坊さん も牧師さんも神主もいない無宗教のお別れ会でした。

 遺族の話によると、持病の心臓疾患から止めていたお酒を数ヶ月前から少し嗜むようになり、前夜も少し飲んで気分良く自室に戻られたそうです。
 朝、家人が起こしに行くと既に事切れていたそうです。
 幸せな逝き方と私には思えてなりません。昔「二十歳六十死に頃」という言葉があったと聞いたことがあります。二十歳頃は未婚で妻も子もいない、六十を過 ぎれば子も成長して親の役目は終わったということでしょう。
 高校時代の山岳部の仲間を二十二、三歳の時に山で亡くしましたが、上高地で検死を受けながら、この言葉を思い出したものです。もう私も既に「死に頃」、 適齢期です。

 街中の葬儀会館の祭壇に故人の好きだったという花が遺影を囲むように敷き詰められていました。遺影は故人と孫たちが一昨年に念願の広島、呉などを旅行し た時に宮島で孫が撮った写真だそうです。写真館で撮った写真ではない柔和な故人の人となりが写されたようないい写真でした。

 祭壇脇には遺品の帽子や日用品、若い日の奥さんや息子、娘との写真、可愛がっていた孫たちに囲まれた写真が並べられていました。クラシックもお好きだっ たようでラジカセから音楽が流れていました。

 ほとんど部外者に近い私は、そこここで兄弟親族らが話されている思い出話を静かに聞いているだけです。
 喪主の奥さんに代わって長男が挨拶をして、順々に献花をして前夜のお別れ会は終了、仕出屋のオードブルと飲み物で小腹を満たして、長女の家に泊まること としました。

 翌日のお別れ会も粛々と済ませ、骨上げまで付き合いました。

 逝き方は自死する以外では自分で決めることができません。
 しかし送られ方は決められます。葬儀などしてほしくはありませんが、荼毘にはせねばならず、無宗教で極々内輪で俗に言う家族葬みたいなものをしてもらえ ばと思います。
 金もないし、死後の世界も信じていないので墓は要らない、幸い親などの守るべき墓もありませんから、信州の山にでも散骨をしてほしいと自然葬を主催して いる「葬送の自由をすすめる会」に入っています。

 数日前に、職場の同僚が遠縁の人の遺骨を引き取らなければならなくなって、最期を過ごした福祉施設、遺骨を預かっている火葬場などを巡って遺骨を引き取 り、天王寺の一心寺に納骨されたそうです。

 生まれてきた以上はいずれ死を迎えなくてはなりません。苦しまず、周りに迷惑をかけずに逝き、送られたいと切に思います。
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