11/07/07 佐野洋「終の希み(ついののぞみ)」
6月27日に紹介した佐野洋さんの「千の謎から」は千二百にも及ぶ作品から自らが選らばれた短編10作で、書かれ
た年代もテーマも
違うものでしたが、今回紹介する「終の希み」は2008年から2010年に亘って月刊誌に連載された「老人」がテーマの短編集です。
◆回転の軸
佐野洋さんの短編によく出てくる設定の一つ、都市近郊の町のタウン誌の編集部とその寄稿家や取材先を舞台としたおしゃれな一編です。
叔父が主宰するタウン誌「生き生き石尾」の編集部に勤める沙織が、元中学教師で今は地元紙に社会時評的なコラムを寄稿している木塚芙美枝のインタビュー
をすることになった。
芙美枝は最近のコラムに、かつての教え子が還暦のお祝いをしたいと言ってきているが「還暦などは、わたしが考えている『新老人道』の入口に過ぎない。還
暦祝いはどんな形にせよ、ご辞退申し上げるつもりだ」と書いていた。「新老人道」とは。
芙美枝の夫・木塚は町内の老人のグループに誘われたが、会長をしている男が「○○会会長・元□□株式会社取締役」という名刺を出したことが気に入らなく
てグループには入らなかったという。そんな木塚がデパートで殴られ入院したという。
小さなどんでん返し、木塚氏の名誉挽回の結末が爽やかです。
◇老人病
人間は年を重ねるに従って、精神的にも肉体的にも丸みが出て来て好々爺風になっていくものだと思っていましたが、根性の悪い年寄り、いつまでも頭の悪い
年寄りがいることに自分自身が老の境地に入って目に付きだしました。
木塚が誘われた老人のグループの会長みたいに現役時代の「肩書き」にしがみつく人がいます。周りが見えない視野狭窄病なのでしょう。
また、現役時代に思い通りに生きられなかったような人は、積年の恨みを吐き出すように偉そうに振舞います。こんな人は老人性小児病とでもいうのでしょう
か?
若ければ若さが少々の欠点は隠してくれますが、シミの出た年寄りの欠点は隠しようがありません。
◆思わぬ事態
前作「回転の軸」に対する読者からの手紙という形式の一話です。
定年を前にした手紙の主・松島は定年後は子会社の役員にでもと思っている。松島と同期入社の梶井は退職後は自由な生活をしながら発明のアイディアでも考
える、今風に言えば「ニート暮らし」をしたいと言っている。梶井の生き方こそ「回転の軸」で書かれた新しい「老人道」ではないか?と。
私は定年前に退職しました。子会社に再就職する道もあったのですが、我がままに自分のやりたいことをしてきました。60歳定年で職を失えば残りの二、三
十年を何をして生きていくのかが大きな問題です。聞くところでは私と同じ会社の退職者は陶芸教室に通って作品を物にしている人や、海外旅行を趣味としてあ
ちこちに行っている人など積極的に行動している人の話だけが伝わってきます。
作品の大詰めに、長男の嫁に面倒を見てもらうに忍びないから老人が結婚するという話がありました。
「男やもめにウジが湧く」という言葉もあるように、老いた男を一人にしておく心配も分からなくはありませんが、そのための結婚という帰結に納得がいきま
せんでした。
「回転の軸」への辛口批評も松島の口で語らせていて中々凝った作りの一編です。
◇混雑した電車のアイディア
混雑した電車内で床に荷物を置いていることが混雑の原因となっている。床に荷物を置かない、置かなくてもよいグッズを開発すればという梶井のアイディア
が書かれていました。
「混雑した車内」と言うキィワードで思い出しました。雨の日の通勤電車の車内で人の濡れた傘で服が濡れるが嫌だから、デパートの入口にあるような使い捨
ての傘カバーを駅に置いたらどうだろう
か?と次女と頭の体操をしていました。
カバーに広告を入れれば鉄道会社の費用負担を軽減することができるが、果たして使い捨ての傘カバーに広告主はつくだろうか?
もう一点は、エコ、エコとうるさい世の中だから石油から作られたものでなく自然に還ることができる素材を選ぶ、あるいは繰り返し使えるものにするとか、
色
々問題が出てきましたが、この種の下らぬ話は誰かがAというとAの弱点を探してBを提示するなどとして結構楽しめるものです。
◆変わった夢
夫に急死された香織は友だちの書道塾を手伝っていた。
その書道塾に「夫は海外出張中で、自分にも勤めがあるので、授業を終わった後の子どもを仕事が終わるまで預かってくれないか」と変わった依頼してきた女
がいた。数日だけという約束で辰則という子どもを預かり香織が「世話」をすることになった。
辰則の「夢」は東京大学に入学することだという。色々話を訊いているうちに辰則親子に疑問がわいてきた。
独身で孫もいない香織も辰則の「世話」をすることにある種の「夢」を持っていた。
◆見ていなさい
小学校で校長をしている野田は先輩に頼まれて老人の集まりで「孫と付き合う法」的な講演をすることになった。全編が野田の語りで話が進むという趣向を凝
らした作品です。
孫娘の美加と遊びたいために退職後は娘夫婦の近くで暮らすようになった富田だが、美加には美加の事情があり思い通りに遊ぶことができなかっ
た。
プールからの迎えを依頼され美加と歩行者用の側道を歩いていると、バイクがガードレールすれすれにスピードを落とさずに通過していった。それを見て富田
は「今に見ていなさい。ああいう奴は、事故を起こすから」と美加に言ったところ、翌日その場所でバイクの事故があった。
また、別の時には一軒の家に葡萄がなっているのを見ていると、家人と思わしき女が「この葡萄は酸っぱくてどうしようもない」と二人を葡萄泥棒のように
言った。その時も「見ていてごらん。あの家には、いまに悪いことが起きる」と。するとその夜、その家は放火された。
「見ていなさい」は富田の現役時代からの口癖だった。
富田の「見ていなさい」は予言なのか、願望なのか?
孫と遊びたいがために転居までする、遠く離れて孫の登下校を見守る、それを孫本人は疎ましく思っているなどと、老人の思い通りにできることはありませ
ん。
全9編のうち4編を紹介しました。続きはまたの機会に紹介します。
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