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11/08/07 広島原爆忌
 夏ばて気味です。
 夜勤明けに「青春」18などという切符で800キロを超える鈍行の旅はさ すがに堪えたようです。

 さて、西条のビジネスホテルで8月6日を 迎えました。
 6時過ぎの電車に乗って広島に向かいます。土曜日の朝早くなのに車内は結 構混んでいます。平和祈念式に行く人でしょうか?

 広島駅前は小学生、若い男女、外国人等々の老若男女の人で混んでいます。 あわてて乗った路面電車は宇品行きとか、よくわからない私は八丁堀で下車し商店街を平和公園に向かいました。途中、ファストフード店で朝食をとりました。 旅の鉄則は「食べられるときに食べられるものを」です。

 平和公園内は制服や私服の警察官の姿が目立ちます。目つきの悪い屈強の男が2、3人屯しているのは公安警察でしょうか?
 彼らは何を守ろうとしているのでしょうか?

 式典会場の一番後ろになる平和資料館前から左手(式場とはいえない場所) に陣取りました。
 私の前を、人並みを掻き分けて進む手首に数珠をはめた老女や介助のボランティアに連れられた車椅子の老人など、ほかには
若 い女性の2、3人のグループが目に付きます。普通の何かの組織の人とも思えない若い女性だということに驚きます。
 遺族や、闘士などではない普通のヒトが私と同じようにこの現場にいることが不思議に思えます。人ごみの中には昨日電車内で見かけた若い外国人を見つけた り。

 午前8時に式典は始まりました。
 広島市長 の「平和宣言」は反原発に言及したくらいであまり迫ってきませんでした。

 8時15分、66年前のこの空の下
で何が起こったのでしょう。それは大量虐殺、無差別虐殺、そして人殺しに使われた道具 は原子力、核でした。
 今、私たちはこの凶器に身を任せてしまいました。そんなことを考えながら黙祷。

 その後の菅首相の挨拶は、福島第一原発の事故に触れ「政府は、この未曽有の事態を重く受け止め、事故の早期収束と健康被害の防止に向け、あらゆる方策を 講じてまいりました」と述べましたが、「あらゆる方策」とは国民に嘘をつき続けることでしょうか?
 彼には日本国の代表として今までの原発政策の誤りを認めるべき、そうでない限り何を言っても嘘ではないかと思います。

 一時間足らずの式典は平穏に終わり、これからは私たち一般の参列者が慰霊 碑の前で祈ることができます。アナウンスがこうして、ああしてと手順を繰り返しています。

 ドームからドーム前電停方面に行くと「平和××行進」とかデモの出発です。意気地なしの私は素性の分からないデモに加わることができません。九条の会と か全労連とか、共産党とかの旗があればついて行ったのでしょうが。

 今回の旅の目的の一つ、縮景園までおおよその方角を歩いて行きます。広島城跡
の一角にある縮景園は後楽園や兼六園のよう に大きな庭ではありませんでした。この庭園も原爆の被害を受けたそうです。築山の奥に慰霊碑がありました。原爆で殺された64体の遺骨が1987年にこの 地で見つかったと案内板に書かれていました。

 川 沿いの道を広島駅に出て広島焼きでも食べて帰ろうかと思いましたが、西条の酒蔵も捨てがたいので西条に戻ることにしました。西条駅から左手にとると酒蔵の 町並みです。
 何軒か覗いたあと、西条鶴の蔵元の店番の美人に誘われて試飲、辛口の吟醸酒を買いました。店番は美人に限りますね。

 西条駅裏のお寺の瓦は西条瓦というきれいな朱色で、その後も車窓には西条瓦の家並みが見られました。
 三原、岡山、相生、姫路、大阪と乗り継いで帰宅しました。
 8月の土曜日は花火でも催されるのでしょうか若い女性の浴衣姿が目立ちます。

 姫路駅では遅い昼飯に駅そばを食べ、始発の新快速の中でビールをいただきました。

 まったく、まとまらない書き込みです。集合住宅の管理組合の用事が立て込んでいてリタイヤした身には久しぶりにタイトな数日を過ごしています。
 書き忘れはまた思い出しつつ整理することにします。
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