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14/09/29 母を見舞う

 御岳の噴火は大変 なことになっています。
 二十歳頃に冬の御岳に挑戦したこと、二日間吹雪かれて登ることも下ることも出来ずテントに閉じ込められたことを思い出しました。

 さて、昨日は実家に母を見舞ってきました。
 病いをえているわけではないのですが、ほぼ月に一回顔を見せに行くことが恒例となっています。また、この度は日課の散歩の途中で転んで頭に傷をして救急 車で運ばれた後ということで「見舞い」になりました。

 JR線から私鉄の2両編成のワンマンカーに乗り換えて15分、下車後2km弱の田圃道を歩いて帰るのですが、昨日は日差しが強く汗ばんでしまいました。 この付近では稲の刈り入れもすんでいました。三反百姓だった我が家は田植には人を頼みましたが、草取り、水の番、稲刈り、足踏み式で脱穀と母と二人でした ものでした。子どもにはきつい労働でしたが、母子共に元気で過ごせているのもそんな労働をおかげかも知れません。

 母は1918(大正7)年生れで、今年96歳です。
 実家に兄夫婦と暮らしていて、姉の嫁ぎ先も車で10分ほどのところにおり、私は姉兄夫婦には母の世話を任している次男坊です。

 頭の怪我はたいしたことも無くほんの小さな傷だけだったのですが、出血が多くて見た人がびっくりして救急車を呼んでくれたそうです。長く働いてきたので すから、1度くらい救急車のお世話になってもばちは当たらないでしょう。
 週に2回ディサービスに行っているのだそうですが、怪我をした翌日からディサービスに行っていたとのこと、安心しました。
 食事は嫂が作ってくれるのですが、部屋の掃除、自分の洗濯物は今も自分でしています。こけてからは安全のために室内でもステッキをついています。


 ディサービスの施設の職員のこと、同じ利用者のこと、近所の年寄りのこと、私の同級生のことなど話題は尽きません。

 成人して家を出てから同窓会にもクラス会にも縁がなかった私には「○○さんの弟の△△さんの娘さんが・・・」などと言われても○○さんの面影さえ浮かん でこないのです。
 近所の子どもたちと遊んだ記憶もそんなに思い出せないほどです。雨戸の節穴を通して障子に映る絵を不思議そうに眺めていたり、裏庭の蟻の行列の後を追っ たりと根暗な子どもでした。

 何時も「もう帰るのか」といわれながら2時間ほどのおしゃべりに付き合って帰るのです。

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