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02/05/03 山崎豊子「沈まぬ太陽」

 00年6月頃、旧知の会社の社長から 「株式上場の準備をしており、社内監査業務を手伝って欲しい」との誘いを受け、当時働いていた会社を退職し00年10月に現在の会社に入社しました。
 
 会社は02年3月に上場を果たしました。上場前には、営業成績を膨らませるための恣意的な取引もありましたが、「上場を」と言う命題に向けて走ってきま し た。
 上場後はより社会的責任を負わなければならなくなったにも拘らず、幹部は事業規模を大きく見せるために粉飾経営を行っており、社内監査をする立場の私の 存 在が疎ましくなったのでしょうか今年の4月からは、東京事業部責任者と言うインフレ肩書きを与えられ東京勤務とされてしまいしました。
 
 そんな私の主な仕事は、殆ど営業経験のない社員を抱えての売上の確保と、幹部とそりの合わない社員の退職勧奨でした。
 
 そんな時に、書評を見て読んだのが「沈 まぬ太陽」でした。

 主人公は、押し付けられて航空会社の労働組合の委員長になって「筋」を通されたために、会社からも組合からも攻撃をされ、カラチ、テヘラン、ナイロビと た らいまわ しにされ、会社はじまって以来の長期海外勤務と言う「島流し」にあわれた方の話です。
主人公の恩地元さんに同化するようにむさぼり読みました。
 
 丁度、その頃に起こった日航機の御巣鷹山の事故とその事故処理についても随分書き込まれています。

 作中、仲間が「僕らは仕事が終われば家族がおり、友人と語れる。あなたは365日、24時間孤独ではないか。どうしてそんなにがんばれるのか」との問い に、恩地は「私が辞めたら悲しむ仲間がいる。その一方で丸の内の本社で祝杯をあげる会社や第二組合の人間がいると思うと辞められない」という場面がありま した。
 
 私も早晩、この会社を辞めざるを得ないと思っております。
 私などには恩地さんのように強くなく、格好良く生きることができません。
 主人公とここまで同化して読めた本は初めてでした。

 モデルとなら れた方は小倉寛太郎さんと言う方です。02年10月に亡くなられています。
 お別れの会での「お別れの言葉」はこちらに掲載されています。
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