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05/01/20 水上勉「しがらき物語」

 水上勉さんは、昨年(04年)9月に亡くなられました。

 松本清張さんと並んで社会派推理作家と言われていた頃に、水上作品を少し読んだ記憶があります。「しがらき物語」は私の読書傾向とは少し違うのですが、 滋賀県出身の私にはなじみのあるタイトルでもあり、ずいぶん昔(80年頃)に読みました。

 水上勉さんが亡くなられてと言うことで改めて読んでみました。蔵書をキチンと整理して所蔵するような習慣がありませんので、今回もまた「日本の古本屋」http://www.kosho.or.jp/に お世話になりました。集英社文庫版を400円で購入しました。

 滋賀県出身者と言いながらも、私が始めて信楽に行ったのは3年ほど前、自宅から宇治、宇治山田からR307を経由して彦根までサイクリングをした時で す。
 それも、国道沿いの陶器店の店先に並ぶタヌキ等をぼんやりと眺めて走っただけでした。
 その後は、裏白峠(トンネルでなく)を越えて伊賀上野に出たり、信楽川沿いのR422を下ったりと何度も”通過”はしているのです、信楽の街をゆっくり と散策したことはありません。

 物語の舞台は昭和10年年代から終戦前後までの日本六古窯の一つといわれる陶器の街・信楽です。
 老陶工(木崎平右衛門)、元孤児の養女(小夜)、弟子(臼井 弥八)とロクロをまわす姫弟子(ひでし・紺)のそれぞれの生き方を描いています。

 平右衛門は生涯妻を娶らず、養女小夜を愛情深く育てていきます。他の窯元が植木鉢や火鉢といった大量生産向けの商売に変わっていく中で、頑なに信楽焼の 伝統的な皿や壷を作っています。出先の京都で生涯を終えます。

 変人と呼ばれる平右衛門の作陶に紺は欠かすことの出来ないパートナー(ひでし)です。紺はひでしの仕事、木崎家の賄い、小夜の養育と主家に対し滅私奉公 をしています。

 父母のことも、自分の生まれた里も知らない弥八は土(陶土)掘り人夫でした。平右衛門に見込まれて弟子となりますが、愚鈍でいつも叱責ばかりされていま す。老いた平右衛門の代わりに木崎家の力仕事一切をこなす力自慢です。平右衛門の死後は紺と二人で平右衛門窯を守ってゆきます。

 小夜は、平右衛門や紺、弥八の愛情を受けて、賢く美しく成長し平右衛門の遺言とおり信楽の有力者に嫁ぎます。

 信楽の陶土は京都清水に、信楽焼の製品は京都の陶器問屋まで、大戸川沿いの道 (現在の県道16号線)を草津市笠山に出て国道1号線から京都までか、信楽川に沿って大津市大石にでる道(現在の国道422号線)を石山に出て京都まで、 リヤカーや馬車で運ばれていました。

 京都に続く信楽川沿いの道はこの小説に大きな役割を果たしています。

 母の面影を探す信楽川の川原と、母につながるシギ。
 五十貫(200Kg弱)の陶土をリヤカーに積んで運んだ道。
 人力車の平右衛門に、陶工にならないかと誘われた道。
 小夜、紺とともに、平右衛門の亡骸をリヤカーに積んで信楽の工房まで戻る道。
 平右衛門の死後、初めて焼いた壷を背に京都まで急いだ道。
 死期の近づいた弥八が、自らの死に場所とした信楽川の川原。

 前回、信楽川沿いのR422を通ったときは、湾曲した川の流れに沿って道幅の狭い道路がくねくねと民家の軒先をかすめるように続いていました。それで も、コンクリートの塊の橋脚がそこここに出来ており、数年後には弥八たちが見た景色は大幅に変わるのでしょう。
 水上勉さんの信楽の町と風景の描写に誘われて、今週末に信楽川と大戸川、信楽の街をサイクリングで訪れようと思っています。帰りましたらサイクリング日 記にレポートします。

  気になったことが一つ。巻末の解説の中に、
 ”この作品の舞台である滋賀県(近江)の信楽の町は、作者の郷里若狭と背なかあわせであり、作者に親しい風景であったことがうなずかれる”
 とありましたが、私の感覚では若狭と近江(特に湖南)の風景は、似ているように思えませんし、若狭出身者が信楽の町を見て親しみを覚えるのでしょうか。 少し気になりました。

◆水上勉さんのファンサイト
 水上勉さんについて書かれているおしゃれな個人の方のWebページがあります。「かんげつびょう−水上勉さんの世界−」http://homepage1.nifty.com/kangetsu_byou/index.html
◆甲賀市
 滋賀県信楽町は、04年10月甲賀郡内の町が合併して滋賀県甲賀市となったようです。「平成の大合併」が国の飴(特例債の発行等)と鞭(地方交付税の減 額等)をもって行われています。
 私の住む町では、幸いなことに小さいままの町として生きていくようです。
◆姫弟子(ヒデシ)
 電動ロクロのない時代に、人力でロクロを回す女性の労働者を姫弟子と呼んでいたようです。
 信楽焼きの大谷陶器さんのWebページhttp://www.otanitoki.jp/sub2.1.htmに、陶工とひでしの作業風景の写真が あります。
◆リヤカー
 リヤカー(RearCar)は大正末期(あるいは昭和初期)に考案された人力・貨物運搬車です。詳しくは南千住のムラマツ車輌さんの「リヤカー博物館」http://www2u.biglobe.ne.jp/~rearcar/Main-ie3.htmをご覧 ください。

◆信楽サイクリング
 天候不良等にかまけて中々実現しなかった信楽へのサイクリングに行っていました。詳細はこちらをご覧ください。ま た、スナップをこちらにアップしております。合わせてご覧ください。
(05/01/29)
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