08/09/04 井月墓参
山頭火が慕い、遥々お墓に参っ
たという井月の墓に参ることにしました。
鉄道で伊那市まで自転車を担いで移動し、井月の墓に詣でて桜の名所・高遠城址などを巡り、伊那の名物でも食して一泊。翌日は中央アルプスの権兵衛越え
(峠ではなくトンネルで)で木曾に出て、木曽川沿いに中津川までサイクリングをするとの予定で出かけました。
今回も移動は青春18切符です。
一番電車を京都、米原、名古屋、中津川、塩尻、辰野と乗り継いでで伊那市に向かいます。
最寄り駅で出発の準備をしているとパラパラと雨が落ちてきます。滋賀、岐阜県境あたりではしっかりとした雨になっています。関ヶ原の古戦場は雨に煙って
います。
青春18切符の利用期間の車内は、うるさい爺婆の独壇場です。
ご同輩とはいえ、傍若無人ぶりは酷いものです。
こういう人たちのために、便利なサービスが無くなったりしないようにと思います。
途中の中津川の駅では、特急の停車待ちの駅弁売りの人が二人もいます。ホームの大勢は私と同様の貧乏旅行者ですから千円を超える弁当には手が出せませ
ん。
木曽川沿いには関西電力の水力発電所がたくさんあります。ダムの所為で水が少なく寝覚
ノ床なども今ひとつの迫力がありません。
木曽川、中央西線、国道19号線が平行して走っています。明日はこの道を走るのだと思うと「中津川までxxkm」などの標識が気になります。
飯田線の車内には、蝶でしょうか蛾でしょうか虫が飛びまわっています。
5時過ぎに乗車して伊那北駅に着いたのは13時を回っています。およそ8時間
370kmの電車の旅でした。
駅裏のビジネスホテルにディパックを預け、「井月の句
碑巡りのガイド」を置いてあるという町外れの市役所に向かいます。
観光課の職員は丁寧に対応してくれるのですが、地図(略図)あまりにも粗雑でほとんどわかりません。印刷までして置いてあるのですから、井月に関しても
自分たちの観光のネタにしようと思っているのでしょうが、何とも中途半端なことです。
地図ではわからなかったのですが、天竜川沿いの平野部から数十
メートル高くなった河岸段丘の上の田んぼや蕎麦畑の中の木
立の下に井月の墓はありました。道路には案内板もありませんでした。(すぐ近くの1枚
を除いて)
山頭火は、一度(1934年)は妻籠宿から飯田まで来
て病に倒れ、二度目(1939年5月)の訪問で墓参を果たすことができました。
その時のことを下記のように詠んでいます。「残
日録」05/03/05もご覧ください。
”お墓したしくお酒をそゝぐ”
”お墓撫でさすりつゝ、はるばるまゐりました”
”駒ヶ根をまへにいつもひとりでしたね”
”供へるものとては、野の木瓜の二枚三枚”
左のお墓の写真は良く見るものです。井月は野原の木下に祀られているのかと思っていましたが、晩年に養子縁組をした塩原家の墓所の一角に祀られていまし
た。何か安心しました。
お参りの後は、桜の名所と言われている高遠城址に向かいます。
山の上の城址は桜の林があるだけで、当然ながら売店や茶店は閉まっており、見晴らしの良い場所もなく少しがっかりでし
た。シーズンには有料になるようでゲートが設けられていました。
この城山に見えたところは住宅地のようで、急な坂を登って小学生が帰ってきます。風体怪しげな私にも、大きな声で「こんにちは!」と挨拶をしてくれま
す。
街中で右のような看板を見つけました。
上は「マルスウイスキー」の看板、鹿児島の焼酎メーカーが伊那谷でウイスキーを作って
いるようです。
下は、市内あちこちで見かけた禁煙を呼びかける看板です。「友愛」というグループが呼びかけているようです。
この看板には「きっぱり禁煙 すっきり健康」とありました。
ホテルにチェックインをしシャワー、着替えをして夕食に出かけます。
伊那の名物にローメンというのがあるそうで、うしおという店で食べてみました。
太い乾麺を戻し、キャベツ、マトンのひき肉と一緒に油で炒めたものです。こてこてとした油と濃い目のウスターソース風の味付けで口に合いません。
モツの煮込みはビールにあいましたが。
伊那谷と木曾谷の間には3000m級の山が連なる木曽山脈(中央アルプス)が二つの地域を隔てています。権兵
衛トンネル
が開通(06年2月)するまでは冬季通行止めとなる権兵衛峠(標高:1530m)を越える道しかなかったそうです。
今回は、1000m強の権兵衛トンネル越えで木曾谷に出ることにします。
朝はホテルの粗末なバイキングを朝食事して7時過ぎに
出かけます。
山登りが待っているのはプレッシャーです。早めに超えたいものです。
高遠方面からのR361は天竜川を渡り、踏切を越すと突然途切れたようになります。地
図ではまっすぐ西進するようになっているのですが。
店先に出ていた人に聞くと、もう少し北に走り伊那IC付
近から入っていくのだという。仕方なしにその道を走ってR361に合流しましたが、帰宅後に調べても高遠からのR361をそのまま西進するのが最短だった
ようです。この道を車を通したくない何らかの事情があるのでしょうが、不親切な案内標識で
した。
天竜川の右岸にも河岸段丘が一つ目の壁です。
市街地からの西に向かうと一気に急な上りになります。コンビニや飲食店の並ぶ辺りが壁(段丘)の上です。
中央道を超え信州大学農学部の北側を回り込んでやっとR361に出ることができまし
た。R361はほぼ西にまっすぐに伸びています。
あまりにもまっすぐに伸びる道で、上っているのかフラットなのか目ではわかりません。
脚が正直に上っていることを教えてくれます。
9時半頃に権兵衛トンネル伊那側に到着します。
看板には4470m(標高1062m)と書かれています。愛媛・高知県境の寒風山トンネルの5432mに次ぐ長距離のトンネル通過です。
このトンネルは歩行者、自転車レーンもなく交通量は多くありませんが、大型車の通行が多いので心して走らねばなりません。
トンネル内は上っています。3〜5%もあるような気がします。
車がトンネル内に入ると「ゴォー」と音がします。対抗なのか追い越しなのかも判断できません。
とにかく怖い、数百メートル毎にある待避所で一旦止まり後続を見てから走るような状態です。
抜かれるときには、息を止めてまっすぐに前を見て同じ調子でペダリングするだけです。
後600mの標識から下ります。かな文字の「へ」のような構造のようです。出口を見る
とほっとすると同時にまぶしくて注意が必要です。
出口(木曽側)の看板には標高1162mとあります。両端の高低差は100mですが、
トンネル内で「へ」の字状態となっているのでトンネル内の勾配はきついものでした。
その後も、番所トンネル、羽渕トンネル、姥神トンネルと200m〜2000mのトンネルが続き、すっかり疲れてしまいます。
これらのトンネルは、いずれもきつい下り勾配で気が抜けません。
木曽川沿いのR19に出たときには、本日の仕事完了の態でした。
R19は、山越えの道より狭く大型車の通行もひっきりなしです。
左の写真のように路側の余白は狭く、ぼんやりした頭では大型車の風に煽られてしまいそうです。
日義の道の駅で休みますが、食べ物を口に入れる気がしません。手持ちの水と飴玉を口にして早々に出発します。お腹に満腹感はあるのですが、どうもハン
ガーノックのようです。
少し下って「木曽福島駅→」の看板につられてリタイアすることにします。
11時過ぎに木曽福島駅に到着、次の電車は11時50分発です。KIOSKで缶ビールとおつまみを買って取りあえず口に入れて帰途につきました。
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